ダビデ王が神の箱をエルサレムに運び入れる物語は、イスラエルの歴史の中で非常に重要な出来事の一つです。この物語は、神の臨在に対する深い敬意と、神の御心に従うことの重要性を教えています。
ダビデはイスラエルの王として、神の箱をエルサレムに運び入れることを決意しました。神の箱は、神の臨在を象徴する聖なるものであり、イスラエルの民にとって最も神聖な宝物でした。ダビデは、神の箱をエルサレムに置くことで、神の祝福と導きを国全体に広めようと考えたのです。
ダビデは、イスラエルの選ばれた者たち三万を集め、神の箱を運ぶための行列を組織しました。彼らはユダのバアラから出発し、神の箱を新しい車に乗せ、アビナダブの家から運び出しました。アビナダブの息子たち、ウザとアヒオがその車を導きました。ウザは車のそばを歩き、アヒオは前に進みました。
行列は喜びに満ちていました。ダビデとイスラエルの全家は、琴や竪琴、タンバリン、シンバル、ラッパなどの楽器を奏でながら、神の前で力の限り踊り、歌いました。しかし、その喜びの中にも、神の箱に対する深い敬意が求められていました。
ところが、ナコンの打ち場にさしかかった時、牛がつまずき、神の箱が傾きそうになりました。ウザはそれを防ごうと手を伸ばし、神の箱に触れてしまいました。神の箱に触れることは、神の命令に反する行為でした。神はかつて、神の箱に触れる者は死ぬと定められていたのです。
その瞬間、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は彼をその場で打たれました。ウザは神の箱のそばで倒れ、息絶えてしまいました。この出来事は、ダビデとすべての民に大きな衝撃を与えました。ダビデは恐れを抱き、主の箱を自分のところに運ぶことをためらいました。彼はその場所を「ペレツ・ウザ」(ウザの破れ)と名付け、その日からその場所はその名で呼ばれるようになりました。
ダビデは神の箱をガテ人オベデ・エドムの家に運び、そこに置くことにしました。神の箱がオベデ・エドムの家にあった三か月の間、主は彼とその全家を大いに祝福されました。このことを聞いたダビデは、再び神の箱をエルサレムに運び入れる決意を固めました。
今度は、ダビデは神の箱を正しい方法で運ぶことに細心の注意を払いました。彼は、主がモーセを通して命じられた通り、レビ人たちに神の箱を肩に担がせました。ダビデは、神の箱を運ぶたびに、六歩進むごとに犠牲をささげました。彼は主の前で喜び踊り、神の箱がエルサレムに入るのを心から歓迎しました。
ダビデは細布のエポデを身にまとい、主の前で力の限り踊りました。彼の喜びは非常に大きく、彼はすべての力を尽くして神を賛美しました。しかし、ダビデの妻ミカルは、窓から彼が踊る様子を見て、心の中で彼を軽蔑しました。
神の箱がダビデの天幕に安置されると、ダビデは全焼のいけにえと和解のいけにえをささげました。そして、彼は民を祝福し、すべての民にパンと干しぶどうの菓子と干しぶどうを分け与えました。
しかし、ダビデが家に帰ると、妻ミカルは彼を出迎え、彼の踊りを嘲るように言いました。「イスラエルの王は、今日、なんと名誉あることをなさったことでしょう。ちょうど軽薄な者のひとりが裸になるように、家来たちのはしためたちの前に裸になられたことです。」
ダビデはミカルに答えました。「主の前でわたしは踊ったのだ。主はわたしをあなたの父やその全家よりも選び、わたしを民イスラエルの君主とされた。それゆえ、わたしは主の前で喜び踊るのだ。わたしはもっと卑しくなり、自分自身を低くするであろう。しかし、あなたの言うはしためたちには、わたしは尊ばれるであろう。」
この出来事を通して、ダビデは神の前での謙遜と喜びの重要性を学びました。神の箱をエルサレムに運び入れることは、単なる儀式ではなく、神との深い関係を築くための行為でした。ダビデの心からの賛美と従順は、神の祝福をもたらし、イスラエルの民に神の臨在を感じさせるものでした。
この物語は、神の御心に従うことの大切さと、神の前での謙遜と喜びの重要性を教えています。神は私たちの心からの礼拝を喜ばれ、私たちが神の御心に従うとき、豊かな祝福を与えてくださるのです。