聖書

コリント教会の賜物と調和の教え

ある日のこと、コリントの教会に集まった信徒たちの間で、一つの疑問が湧き上がりました。彼らは、神から与えられた賜物について議論していました。ある者は預言の賜物を誇り、ある者は癒しの力を持っていると自慢し、またある者は異言を語る能力を重んじていました。それぞれが自分の賜物を最も優れたものと考え、他の人々の賜物を軽んじる傾向がありました。

その時、パウロは彼らに手紙を書き送りました。その手紙の中で、パウロは教会を一つの体にたとえました。彼はこう言いました。

「兄弟たち、あなたがたは一つの体です。その体には多くの部分がありますが、すべての部分が一つの体を形作っています。もし足が『私は手ではないから、体に属していない』と言ったら、それでも足は体の一部です。また、耳が『私は目ではないから、体に属していない』と言ったら、それでも耳は体の一部です。もし体全体が目だったら、どこで聞くのでしょうか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぐのでしょうか。しかし、神はそれぞれの部分を、ご自身の望まれるままに体に配置されました。」

パウロは続けました。

「すべての部分が一つの部分だけであったら、体はどこにあるのでしょうか。しかし、実際には多くの部分がありますが、一つの体です。目は手に『あなたはいらない』と言うことはできません。また、頭は足に『あなたはいらない』と言うこともできません。むしろ、体の中で弱く見える部分が、かえって必要です。そして、私たちが劣っていると思う部分を、神はより多く尊ばれます。それは、体に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」

パウロの言葉は、教会の信徒たちの心に深く響きました。彼らは、自分たちがそれぞれ異なる賜物を持っていることを認め、その賜物がすべて神からのものであることを理解し始めました。預言の賜物を持つ者は、癒しの賜物を持つ者を尊重し、異言を語る者は、教える賜物を持つ者を敬うようになりました。

パウロはさらに言いました。

「あなたがたはキリストの体であり、一人ひとりはその部分です。神は教会の中に、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師を置かれました。また、奇跡を行う者、癒しの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者など、さまざまな賜物を与えられました。しかし、すべての賜物は同じ御霊によって与えられ、すべての働きは同じ神によってなされます。御霊はそれぞれに、益となるように賜物を分け与えてくださるのです。」

信徒たちは、パウロの言葉を聞いて、自分たちが互いに必要であることを悟りました。彼らは、自分たちの賜物を誇るのではなく、他の人々の賜物を尊重し、共に働くことの重要性を理解しました。教会は、一つの体として調和し、神の栄光を現す場所となりました。

パウロは最後にこう結びました。

「あなたがたはキリストの体であり、一人ひとりはその部分です。ですから、互いに愛し合い、尊重し合いなさい。すべての賜物は、神の栄光のために与えられたものです。あなたがたが一つとなって働くとき、神の御心が成し遂げられるのです。」

コリントの教会は、パウロの教えに従い、互いに尊重し合い、神の御心を行う共同体として成長していきました。彼らは、自分たちが一つの体の部分であることを忘れず、神の栄光を現すために共に歩み続けたのです。

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