ある日、コリントの町に住む人々は、使徒パウロの言葉に耳を傾けていました。パウロは、神の知恵と力について語るために、彼らのもとにやって来たのです。彼は、自分が彼らに伝えるメッセージが、人間の知恵や力によるものではなく、神の霊によるものであることを強調しました。
パウロは、コリントの人々にこう語り始めました。「兄弟たち、私があなたがたのところに行ったとき、私は優れた言葉や知恵をもって、神の証しを伝えることはしませんでした。なぜなら、私はイエス・キリストとその十字架のほかには、あなたがたの間で何も知らないことに決めていたからです。」
彼は、自分が彼らのもとに来たとき、弱さと恐れと激しい震えをもって語ったことを思い出しました。彼の言葉は、人間の修辞学や哲学の力によるものではなく、神の霊の力によるものでした。パウロは、彼らの信仰が人間の知恵に基づくものではなく、神の力に基づくものであることを望んでいたのです。
「しかし、」パウロは続けました。「私たちは、成熟した者たちの間で、知恵を語ります。それは、この世の知恵ではなく、またこの世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。私たちは、神の隠された奥義としての知恵を語るのです。この知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。」
パウロは、この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っている者は一人もいなかったと説明しました。もし彼らが知っていたならば、栄光の主を十字架につけることはなかったでしょう。しかし、神はこの知恵を、御霊を通して私たちに啓示してくださったのです。
「神の霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ぶからです。」パウロは、神の霊が人間の心の中にあるものを知っていると語りました。神の霊だけが、神の深い事柄を知っているのです。そして、この世の霊を受けた者は、神の御霊から来るものを理解することはできません。なぜなら、それらは霊によって判断されるべきものだからです。
「しかし、霊の人である私たちは、すべてのことを判断しますが、私たち自身はだれからも判断されることはありません。」パウロは、神の霊を受けた者たちは、神の心を知ることができると語りました。彼らは、キリストの心を持つ者たちであり、神の知恵と力を理解することができるのです。
パウロの言葉は、コリントの人々の心に深く響きました。彼らは、自分たちが人間の知恵に頼るのではなく、神の霊に導かれるべきであることを悟りました。神の知恵は、この世の知恵とは異なり、十字架のメッセージを通して現されるのです。
その日、コリントの町は、神の霊の力に満たされました。人々は、パウロの言葉を通して、神の深い愛と知恵を理解し、彼らの信仰はさらに強められました。彼らは、自分たちが神の子として、神の霊に導かれて歩むべきであることを心に刻み、その日から新たな歩みを始めたのです。
こうして、コリントの教会は、神の知恵と力に満たされ、その信仰はますます強くなっていきました。パウロのメッセージは、彼らの心に深く根を下ろし、彼らは神の霊に導かれて、この世の知恵を超えた神の国を目指して歩み続けたのでした。