聖書

神の栄光とモーセの信仰

出エジプト記33章に基づく物語を、詳細で生き生きとした描写を用いて、神学的な正確さを保ちながら語ります。

荒野の真ん中、イスラエルの民はシナイ山のふもとに宿営を張っていました。モーセは神の幕屋を設け、それを宿営の外に置きました。幕屋は簡素ながらも神聖な場所で、そこには神の臨在が宿るとされていました。民は、幕屋の前で祈りを捧げ、神に近づくことを切望していましたが、神の栄光はあまりにも大きく、誰もが簡単に近づけるものではありませんでした。

ある日、モーセは幕屋に入り、神と語り合おうとしました。彼が幕屋に入ると、雲の柱が降りてきて幕屋の入口に立ちました。それは神の臨在のしるしでした。民はその光景を見て、それぞれの天幕の入口で立ち止まり、ひれ伏して礼拝しました。

モーセは神と顔と顔を合わせて語り合うことができました。それは、友が友と語り合うような親密な関係でした。モーセは神に訴えました。「主よ、あなたは私に、この民を導いて約束の地に連れて行くように命じられました。しかし、あなたご自身が私たちと共に行かないのであれば、私たちをここから上らせないでください。あなたの臨在こそが、私たちを他のすべての民と区別するものです。」

神はモーセの言葉に耳を傾け、彼の願いを聞き入れました。「わたしはあなたの願いを聞き入れる。あなたはわたしの前に恵みを得ている。わたしはあなたを名指しで知っている。」

モーセはさらに大胆に願いました。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

神は答えました。「わたしはすべての良きものをあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前に宣言しよう。わたしは恵みを与える者であり、憐れみを与える者である。しかし、わたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きることはできないからだ。」

神はモーセに、岩の裂け目に立ち、神の栄光が通り過ぎるのを見るように命じました。神は手でモーセを覆い、通り過ぎた後でその手を除き、モーセに背中を見せると言いました。モーセはその言葉に従い、岩の裂け目に立ちました。

やがて、神の栄光が通り過ぎました。その光景は言葉では言い表せないほど壮麗で、天地を揺るがすような力強さがありました。モーセは神の背中を見ることができましたが、その瞬間、彼の心は深い畏敬と感謝で満たされました。神の栄光は、モーセを通してイスラエルの民にも伝わり、彼らは神の偉大さを再認識しました。

モーセは幕屋から出て、民の前に立ちました。彼の顔は神の栄光に照らされて輝いていましたが、彼自身はそれに気づいていませんでした。民はモーセの顔の輝きを見て恐れ、彼に近づくことをためらいました。モーセは民に神の言葉を伝え、彼らを導き続けました。

この出来事を通して、イスラエルの民は神の臨在の重要性を深く悟りました。神は彼らと共におられ、彼らを導いてくださる方であることを再確認したのです。モーセの信仰と神への従順は、民にとって大きな模範となりました。

この物語は、神の臨在の重要性と、神との親密な関係の価値を教えています。モーセの信仰と神への従順は、私たちにも大きな示唆を与えてくれます。神は私たちと共におられ、私たちを導いてくださる方であることを心に留め、日々の歩みの中で神に信頼し、従うことが大切です。

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