ある日のこと、使徒ヨハネはエフェソスの教会に手紙を書いていました。彼は年老いていましたが、その目は依然として鋭く、心はイエス・キリストに対する深い愛で満ちていました。彼は、イエスが地上を歩まれた日々を思い出し、その教えと奇跡を心に刻んでいました。ヨハネは、教会の兄弟姉妹たちに真理を伝え、彼らが神との交わりを保つようにと願っていました。
「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触れたものについて伝えます。それは命のことばについてです。」ヨハネはこう書き始めました。彼の言葉は、イエス・キリストがまことの神であり、まことの人であったことを証しするものでした。ヨハネ自身、イエスと共に過ごし、その声を聞き、その姿を見て、その手で触れた経験を持っていました。それは単なる伝説や物語ではなく、彼の人生そのものに深く刻まれた現実でした。
「この命が現れ、私たちはそれを見たので、そのことをあなたがたに証しし、あなたがたにも私たちとの交わりを持ってもらいたいのです。私たちの交わりとは、父なる神とその御子イエス・キリストとの交わりです。」ヨハネは、神との交わりがどのようなものであるかを説明しました。それは、単なる儀式や形式ではなく、心からの信頼と愛に基づくものでした。神は光であり、闇はまったくありません。神との交わりを持つ者は、光の中を歩む者であり、闇の中を歩むことはありません。
しかし、ヨハネはまた、人間の弱さについても語りました。「もし、『私たちには罪がない』と言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。しかし、もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちを清めてくださいます。」彼は、罪を認め、悔い改めることの重要性を強調しました。神は、私たちが罪を告白するとき、それを赦し、清めてくださる方です。これは、神の恵みと憐れみの現れであり、私たちが神との交わりを保つために必要なことでした。
ヨハネはさらに、イエス・キリストが私たちの罪のために犠牲となられたことを思い起こさせました。「もし、『私たちは罪を犯したことがない』と言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のことばが私たちのうちにありません。」彼は、イエスの血がすべての罪から私たちを清めることを確信していました。それは、神の愛と正義の究極の現れであり、私たちが神との交わりを回復するための唯一の道でした。
ヨハネの手紙は、エフェソスの教会に届けられました。人々はそれを読み、心に深く刻みました。彼らは、自分たちが神の光の中を歩む者であることを再確認し、罪を告白し、悔い改めることの重要性を理解しました。彼らは、神との交わりを保ち、互いに愛し合うことを誓いました。
ヨハネの言葉は、時を超えて今日の私たちにも届いています。私たちもまた、神の光の中を歩む者であり、罪を認め、悔い改めることを通して、神との交わりを保つことができます。イエス・キリストの血は、今もなお私たちを清め、神との関係を回復してくださいます。この真理を心に刻み、光の中を歩み続けることが、私たちの使命なのです。