以下は、歴代誌下26章に基づいた長く詳細な物語です。日本語で書かれており、神学的な正確さを保ちつつ、生き生きとした描写を用いています。
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**ユダの王ウジヤの物語**
ユダの国は、アマツヤ王の治世が終わり、その子ウジヤが王位を継いだ。ウジヤはわずか十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間にわたって統治した。彼の母はエコルヤという名で、エルサレムの出身であった。ウジヤは父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことを行おうと心に誓った。
ウジヤの治世の初め、彼は主を深く畏れ、祭司ゼカリヤの指導のもと、神の道に従って歩んだ。ゼカリヤは神の言葉を理解し、それをウジヤに教えた。ウジヤは主に従うことを喜びとし、国を治めるにあたって神の助けを常に求めた。そのため、主は彼を祝福し、彼の治世は繁栄と平和に満ちたものとなった。
ウジヤは軍事力の強化に力を注ぎ、エルサレムの城壁に多くの塔を築き、防衛を固めた。また、彼は荒野にまで砦を築き、敵の侵入に備えた。彼の軍隊は強く、戦いにおいて常に勝利を収めた。ウジヤはまた、農業にも力を入れ、肥沃な土地を開拓し、ぶどう畑やオリーブ畑を広げた。彼は人々の生活を豊かにするために尽力し、国中に繁栄をもたらした。
しかし、ウジヤの成功と力が増すにつれ、彼の心には次第に傲慢さが芽生え始めた。彼は自分自身の力でこれらのことを成し遂げたと思い込み、主への感謝を忘れがちになった。ある日、ウジヤは神殿に入り、香をたこうとした。これは祭司だけに許された行為であり、王がこれを行うことは律法に反していた。祭司アザリヤは八十人の勇敢な祭司たちと共にウジヤの前に立ち、彼を止めようとした。
アザリヤはウジヤに言った。「王よ、主に香をたき、供え物を捧げることは、祭司アロンの子孫である私たちに許された務めです。王はこれをしてはなりません。これは主の律法に背く行為です。どうか、この場を去ってください。そうでなければ、主の怒りが王と国に下るでしょう。」
しかし、ウジヤはアザリヤの言葉に耳を貸さず、かえって怒りを露わにした。彼は手に香炉を取り、香をたこうとしたその瞬間、主の怒りが彼に臨んだ。ウジヤの額に突然、重い皮膚病が現れ、彼はその場で汚れた者とされた。祭司たちは慌てて彼を神殿から連れ出した。ウジヤ自身もその変化に驚き、急いで宮殿に戻ったが、彼の皮膚病は治ることはなかった。
それ以来、ウジヤは重い皮膚病に苦しみ、人々から隔離されて暮らすこととなった。彼はもはや神殿に入ることができず、王としての務めも制限された。彼の息子ヨタムが宮殿の管理を引き継ぎ、国を治めるようになった。ウジヤは孤独の中、自分の過ちを深く悔い、主に赦しを求めた。彼はかつての栄光を思い出し、主の祝福がどれほど大きなものであったかを悟った。
ウジヤの晩年は、孤独と悔いのうちに過ぎた。彼は主に背いた結果、その栄光を失い、人々からも遠ざけられた。しかし、彼の治世の初めに主を畏れ、正しく歩んだ日々は、ユダの国に多くの祝福をもたらした。ウジヤの物語は、権力と成功が人を傲慢にさせ、神から遠ざける危険性を教えるものであった。
ウジヤが死ぬと、彼は王たちの墓地に葬られたが、彼の皮膚病のために、人々は彼を特別な場所に葬った。彼の死後、彼の子ヨタムが王位を継ぎ、父の過ちを繰り返さないようにと心に誓った。
ウジヤの物語は、神の前に謙遜であることの重要性を私たちに教えている。成功や力は、神の祝福によるものであり、それを忘れるとき、人は自らの破滅を招くのである。主を畏れ、その道に従うことこそ、真の知恵と祝福の源なのである。
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この物語は、歴代誌下26章に基づいており、ウジヤ王の栄光と没落を通して、神への従順と謙遜の重要性を描いています。