ヨハネによる福音書第4章に基づく物語を、詳細で生き生きとした描写を用いて、神学的な正確さを保ちながらお伝えします。
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ある日、イエスはユダヤからガリラヤへと向かう途中、サマリアを通ることにしました。サマリアはユダヤ人にとって異邦の地であり、ユダヤ人とサマリア人との間には長い歴史的な対立がありました。しかし、イエスはそのような人間の壁を超えて、神の愛を伝えるためにこの道を選ばれたのです。
イエスは長い旅の疲れを覚え、サマリアのスカルという町の近くにあるヤコブの井戸のそばに座りました。時は正午ごろで、太陽が真上に輝き、地面は焼けるように熱くなっていました。弟子たちは食べ物を買いに町へ出かけており、イエスはひとりで井戸のそばにいたのです。
そこへ、一人のサマリアの女性が水を汲みにやってきました。彼女は日差しが最も強い時間に水を汲みに来るという、普通では考えられない行動をとっていました。彼女は人目を避け、人々との関わりを避けていたのでしょう。彼女の目には孤独と悲しみが浮かんでいました。
イエスは彼女に声をかけました。「水を飲ませてください。」
サマリアの女性は驚きました。ユダヤ人がサマリア人に声をかけることなど、普通はあり得ないことでした。彼女はイエスを見つめ、こう言いました。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女である私に、水を飲ませてくださいと言うのですか?」
イエスは彼女に答えて言われました。「もしあなたが神の賜物を知り、また、『水を飲ませてください』と言っているのがだれであるか知っていたなら、あなたの方からお願いして、その人から生ける水をもらったことでしょう。」
女性はさらに驚き、イエスに尋ねました。「主よ、あなたはくむ物を持っておいでにならないし、井戸は深いのです。その生ける水をどこにお持ちなのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのですか?ヤコブはこの井戸を私たちに与え、彼自身も、その子らも、その家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
イエスは彼女に言われました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出ます。」
女性はその言葉に心を動かされ、イエスに言いました。「主よ、その水を私にください。私が渇くことがなく、もうここまで水を汲みに来なくてもすむように。」
イエスは彼女に言われました。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
女性は少し戸惑いながらも、正直に答えました。「私には夫はいません。」
イエスは彼女に言われました。「『私には夫はいません』と言ったのは、そのとおりです。あなたには五人の夫がいましたが、今あなたと一緒にいるのは、あなたの夫ではないのです。あなたは本当のことを言いました。」
女性は驚き、イエスがただの人間ではないことを悟りました。彼女はイエスに言いました。「主よ、あなたは預言者だとわかります。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言っています。」
イエスは彼女に言われました。「女の人よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもないところで、父を礼拝する時が来ます。あなたがたは知らないものを礼拝していますが、わたしたちは知っているものを礼拝しています。救いはユダヤ人から来るからです。しかし、まことの礼拝者たちが、霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父は、このような礼拝者を求めておられるのです。神は霊ですから、礼拝する者も、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
女性は深く感動し、イエスに言いました。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、すべてのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
イエスは彼女に言われました。「それは、あなたと話しているこのわたしです。」
その瞬間、女性の心に大きな喜びが湧き上がりました。彼女は水がめをそこに置いたまま、町へと走り出ました。そして、人々に叫びました。「来て、見てください。私がしたことをすべて言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がキリストかもしれません!」
人々は彼女の言葉を聞き、イエスのもとにやってきました。その間、弟子たちは食べ物を持って戻ってきましたが、イエスがサマリアの女性と話しているのを見て驚きました。しかし、彼らは何も尋ねませんでした。
イエスは弟子たちに言われました。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
弟子たちは互いに言いました。「だれかが食べ物を持って来たのだろうか?」
イエスは彼らに言われました。「わたしの食物とは、わたしを遣わした方の御心を行い、そのみわざを成し遂げることです。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではありませんか。しかし、わたしはあなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。刈り入れのためにすでに白くなっています。収穫する者は報酬を受け、永遠の命に入る実を集めています。それは、蒔く者と収穫する者が共に喜ぶためです。ここでは、『一人が蒔き、もう一人が収穫する』ということわざのとおりです。わたしはあなたがたを、自分で労苦しなかったものを刈り入れさせるために遣わしました。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実にあずかっているのです。」
多くのサマリア人がイエスを信じました。彼らは女性の証言を聞き、イエスに会いに来たのです。そして、イエスが彼らとともに二日間滞在し、さらに多くの人々がイエスの言葉を聞いて信じました。彼らは女性に言いました。「私たちが信じるのは、もうあなたの話のためではありません。私たち自身が聞いて、この方が本当に世の救い主であることを知ったからです。」
このようにして、イエスはサマリアの地で神の愛と救いのメッセージを伝え、多くの人々の心を変えられました。イエスは、ユダヤ人とサマリア人という人種や文化の壁を超え、すべての人々に神の国への道を示されたのです。
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この物語は、イエスがどのようにして社会的に疎外された人々に近づき、彼らの心を変え、神の愛を示されたかを描いています。イエスは、私たちが持つあらゆる壁や偏見を超えて、すべての人に救いの道を開かれたのです。