エレミヤ書43章に基づいて、物語を紡ぎ出しましょう。この物語は、神の預言者エレミヤと、彼に従うべきかどうかを問う民との間の葛藤を描いています。神の言葉に従うことの重要性と、それに背くことの結果を深く探求します。
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### エレミヤとエジプトへの逃避
時は紀元前6世紀、バビロンによってユダの国が滅ぼされた後のことでした。エルサレムは廃墟と化し、神殿は破壊され、多くの人々が捕囚としてバビロンに連れ去られていました。しかし、一部の民はユダの地に残され、その中には軍の指揮官ヨハナンや、カレアの子アザルヤといった指導者たちもいました。彼らは、バビロンの支配下でどのように生きるべきかを模索していました。
その頃、預言者エレミヤは神の言葉を民に伝え続けていました。エレミヤは長年にわたり、神の警告を無視したユダの民に悔い改めを呼びかけていましたが、彼らの心は頑なで、神の言葉に耳を傾けようとしませんでした。しかし、エルサレムの滅びを目の当たりにした後、一部の民はようやくエレミヤの言葉に耳を傾けるようになっていました。
ある日、ヨハナンやアザルヤ、そして他の指導者たちがエレミヤのもとにやって来ました。彼らはエレミヤに尋ねました。「どうか、私たちのために主に祈ってください。私たちは何をすべきか、どこへ行くべきかを知りたいのです。」彼らの声には不安と焦りがにじんでいました。彼らはバビロンの脅威から逃れたいと思い、エジプトに逃げることを考えていました。しかし、彼らは神の導きを求めているふりをしながらも、すでに心の中ではエジプトへの逃避を決めているようでした。
エレミヤは彼らの願いを受け入れ、神に祈りました。10日後、エレミヤは再び彼らの前に立ち、神からの言葉を伝えました。「もし、あなたがたがユダの地にとどまるなら、私はあなたがたを守り、バビロンの王を恐れる必要はない。私はあなたがたと共にいて、救いを与える。しかし、もしあなたがたがエジプトに逃げるなら、あなたがたが恐れている剣と飢饉と疫病がエジプトであなたがたを襲う。エジプトに逃げる者は誰一人として生き残ることはない。」
エレミヤの言葉は厳しいものでしたが、それは神の真実を伝えるものでした。神は彼らにユダの地にとどまることを命じ、そこでの生活を守ると約束していました。しかし、エジプトに逃げることは神の意志に背くことであり、その結果は悲惨なものとなるだろうと警告していました。
しかし、ヨハナンやアザルヤ、そして他の指導者たちはエレミヤの言葉を信じようとしませんでした。彼らはエレミヤを非難し、「あなたは偽りを語っている。バルク(エレミヤの書記)があなたを唆して、私たちをバビロンの手に渡そうとしているのだ」と言いました。彼らの心は頑なで、神の言葉に従うことを拒みました。
そして、彼らはエレミヤの警告を無視し、ユダの民の残りの者たちを連れてエジプトへと向かいました。エレミヤとバルクも、彼らに従わざるを得ませんでした。エジプトの地に到着すると、彼らはタフパンヘスという町に住み着きました。しかし、彼らの心には不安が渦巻いていました。神の言葉に背いたことへの罪悪感と、エレミヤの警告が頭から離れなかったのです。
ある日、エレミヤは再び神の言葉を受け取り、民に語りました。「主はこう言われる。『見よ、私はバビロンの王ネブカドネザルをエジプトに送る。彼はこの地を打ち、あなたがたを滅ぼす。あなたがたが恐れていた剣と飢饉と疫病が、エジプトであなたがたを襲う。あなたがたはエジプトで死に、この地は荒れ果てる。』」
エレミヤの言葉は、まさに彼らが恐れていた未来を描いていました。しかし、彼らはすでにエジプトに逃げており、もはや後戻りはできませんでした。彼らの選択は、神の警告を無視し、自分たちの判断に頼った結果でした。
やがて、バビロンの王ネブカドネザルがエジプトに攻め込み、タフパンヘスを占領しました。エジプトに逃げたユダの民は、剣と飢饉と疫病に襲われ、彼らの多くが命を落としました。エレミヤの預言はそのまま成就し、彼らの選択の結果が明らかになったのです。
この物語は、神の言葉に従うことの重要性を教えています。エレミヤを通して語られた神の警告は、民の安全と繁栄を約束するものでしたが、彼らは自分の判断を優先し、神の導きに背きました。その結果、彼らは自らの選択の代償を払うことになったのです。
神は常に私たちに最善の道を示してくださいます。しかし、私たちがその声に耳を傾けず、自分の欲望や恐れに従って行動するとき、私たちは自ら苦難を招くことになります。エレミヤ書43章は、神の言葉に忠実であることの重要性を深く思い起こさせる物語なのです。
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この物語は、神の導きに従うことの重要性と、それに背くことの危険性を描いています。エレミヤの忠実な預言と、民の頑なな心の対比を通して、私たちは神の言葉に従うことの価値を学ぶことができます。