聖書

「清めの赤い雌牛と荒野の民」

**汚れと清めの赤い雌牛**

荒野を旅するイスラエルの民は、日々、死や汚れと向き合っていた。ある日、主はモーセとアロンに、民を清めるための特別な儀式を授けた。

「イスラエルの子らに告げよ。彼らが、死体に触れることによって汚れるとき、清めの水を用いて身をきよめなければならない。そのために、傷のない、まだ軛を負ったことのない赤い雌牛を用意せよ。」

主の言葉に従い、民は赤い雌牛を選んだ。その牛は毛並みが深紅色で、一点の傷もなく、力強く立っていた。祭司エレアザルは、牛を宿営の外に連れ出し、民の前で屠るよう命じられた。彼は指をその血に浸し、幕屋の正面に向かって七度振りかけた。その後、牛は皮も肉も血も糞も一切残さず、燃やされた。祭司は香柏の木、ヒソプ、緋色の糸を取って、燃え盛る炎の中に投げ入れた。

灰は清めの水の材料として、汚れた者に振りかけられることになっていた。儀式を執り行った者も、灰を集める者も、夕方まで汚れ、衣服を洗い、水で身を清めなければならなかった。

時が経ち、ある日、レビ族の若者ヨナタンは、倒れていた同胞の遺体を見つけ、葬ろうと近づいた。しかし、その瞬間、彼は自分が汚れてしまったことを悟った。律法に従い、彼は宿営の外にある祭司のもとへ向かった。祭司は雌牛の灰を清い水に溶かし、ヒソプの束でその水をヨナタンに振りかけた。

「三日目と七日目に清められ、衣服を洗い、水で身を洗いなさい。そうすれば、あなたは清くなる。」

ヨナタンは言われた通りにし、七日目にようやく宿営に戻ることができた。彼はこの儀式の重みを感じた。死は罪の結果であり、神の前で人は汚れを抱える存在だ。しかし、主は清めの道を備え、贖いの約束を示されたのだ。

赤い雌牛の灰は、民の罪と死の現実を映し出していた。しかし、それはまた、将来来られる完全な犠牲——キリストの血による永遠の清め——を指し示す予表でもあった。荒野の民は、この儀式を通して、聖なる神と共に歩むために、絶えず清められる必要があることを学んだのである。

LEAVE A RESPONSE

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です