聖書

「ユダの王アザルヤとイスラエルの王たちの物語」

### **ユダの王アザルヤとイスラエルの王たち**

#### **第1章:アザルヤの治世**

ユダの王アマツヤの子、アザルヤ(別名ウジヤ)は、父の死後、十六歳で王となった。彼はエルサレムで五十二年間、王として国を治めた。アザルヤの母はエルサレム出身のエコルヤで、彼女は敬虔な女性であり、幼い頃からアザルヤに主の教えを諭した。

アザルヤは主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道に従って歩んだ。彼は高き所を取り除かず、民は依然としてそこでいけにえをささげ、香をたいたが、アザルヤ自身は主を深く畏れ、祭司たちの指導に従った。主は彼を祝福し、ユダの国は繁栄した。彼はエラテの町を再建し、ユダの領土を拡大した。また、軍隊を強化し、城壁を修復し、新しい武器を備えた。彼の名声は遠くまで響き渡り、周囲の国々はユダを恐れた。

しかし、アザルヤの力が増すにつれ、彼の心は高ぶり始めた。ある日、彼は主の宮に入り、祭司だけが執り行うべき香をたこうとした。大祭司アザルヤと八十人の勇敢な祭司たちは、王の前に立ちはだかり、「ウジヤ王よ、主に香をたくことは、アロンの子孫である祭司たちの務めです。王はこれをしてはなりません。主の聖なる定めに背くことは、王にとっても災いをもたらします」と諫めた。

しかし、アザルヤは怒り、手に香炉を握りしめ、香をたこうとした。すると、突然、彼の額にらい病が現れた。祭司たちは驚き、王を急いで宮から連れ出した。王自身もその災いに気づき、震えながら宮を去った。その日から、アザルヤはらい病人となり、王宮に住むことができなくなった。彼は別の家に住み、息子ヨタムが宮の務めを代行し、国の裁きを行った。

アザルヤの晩年は孤独なものとなった。かつて強大な王であった彼は、今や主の戒めを破ったゆえに、人々から隔てられて生きなければならなかった。彼は悔い改め、主に祈りをささげたが、その罪の結果は消えることはなかった。こうしてアザルヤは死に、ダビデの町に葬られ、彼の子ヨタムが王となった。

#### **第2章:イスラエルの王ゼカリヤ**

一方、イスラエルの地では、ヤラベアムの子ゼカリヤが王となった。彼はサマリアで六か月間、王位にあった。ゼカリヤは先祖ヤラベアムの罪を繰り返し、金の子牛を礼拝し、民を罪に導いた。彼は主の目に悪とされることを行い、預言者たちの警告を無視した。

ある日、彼の将軍シャルムは、イブレアムの町で謀反を起こし、ゼカリヤを殺害した。こうして、ヤラベアムの家の支配は終わりを告げた。主がかつて預言者アヒヤを通して告げたとおり、ヤラベアムの子孫は四代まで続き、ゼカリヤの死をもってその預言は成就した。

#### **第3章:シャルムの短い治世**

シャルムはゼカリヤを殺し、王位を奪った。しかし、彼の支配はわずか一か月で終わった。メナヘムという将軍がティルツァからサマリアに攻め上り、シャルムを打ち倒した。シャルムは王宮で殺され、彼の野望はむなしく消えた。

#### **第4章:メナヘムの残酷な統治**

メナヘムはサマリアで十年間、イスラエルを治めた。彼は主の目に悪とされることを行い、ヤラベアムの罪から離れなかった。彼の治世は暴力に満ちていた。ティルツァの町が彼に従わなかったとき、メナヘムは激怒し、町を攻め、城壁を破った。彼は妊婦さえも容赦せず、その残酷さはイスラエル中に恐怖を広めた。

その頃、アッシリアの王プル(ティグラテ・ピレセル)がイスラエルに攻め上ってきた。メナヘムは彼を恐れ、銀千タラントを支払って彼と同盟を結んだ。この銀を調達するため、メナヘムはイスラエルの富める者たちから強制的に取り立てた。こうして、アッシリアの脅威は一時的に去ったが、イスラエルの民は重い税に苦しんだ。

#### **第5章:ペカフヤとペカの謀反**

メナヘムの死後、その子ペカフヤが王となった。彼は二年間、サマリアで統治したが、父と同じく主の前に悪を行った。彼の将軍の一人、ペカは、五十人のギレアデ人を引き連れて謀反を起こし、王宮の奥の間でペカフヤを殺害した。ペカはその後、王位を奪い、二十年間、イスラエルを治めた。

しかし、ペカの時代、アッシリアの脅威は再び迫っていた。アッシリア王ティグラテ・ピレセルはイスラエルの領土を侵攻し、ガリラヤやギレアデの町々を占領した。多くのイスラエル人が捕虜として連れ去られた。ペカはこの危機に際し、アラムの王レツィンと同盟を組んでユダに攻め込んだが、彼らの計画は失敗に終わった。

#### **第6章:ホセアのクーデターとイスラエルの終焉の予兆**

ペカの悪政と戦争の失敗に民の不満は高まった。ついに、ホセアという者がペカを殺し、王となった。しかし、彼の治世も主の前に悪であり、イスラエルの滅びは避けられないものとなっていた。

この時代、主は預言者イザヤやホセアを通して、イスラエルとユダに警告を発していた。しかし、民は耳を傾けず、偶像礼拝と不義に沈んでいった。やがて、アッシリアによってイスラエルは滅ぼされ、民は捕囚として遠く離れた地に散らされることになるのである。

#### **第7章:ヨタムの治世**

ユダでは、アザルヤの子ヨタムが王となり、十六年間、エルサレムを治めた。彼は父のように主の前に正しく歩み、主の宮の上の門を建て直すなど、国を整えた。しかし、高き所は依然として残り、民はそこでいけにえをささげ続けた。

ヨタムの時代、主はユダを祝福し、アンモン人との戦いに勝利を与えた。彼は強固な城塞を築き、軍隊を強化した。しかし、彼の死後、その子アハズが王となると、ユダはさらに深い罪に陥っていくのであった。

こうして、イスラエルとユダはそれぞれの道を歩み、神の裁きと恵みのうちに歴史は動いていった。主の言葉は必ず成就し、悔い改める者には憐れみが、傲慢な者には裁きが下されるのである。

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