**イザヤ書65章に基づく物語:新しい天と新しい地の約束**
荒野の風がうなりを上げ、枯れた草をかき分けるように、ユダの民は長い間、苦しみと背きの道を歩んでいた。彼らは主の御顔を求めながら、同時に自分たちの手で偶像を造り、聖なる山で異教の祭りを行っていた。彼らの心は二つに裂かれ、唇でこそ主を賛美するものの、その行いは主の怒りを買うものだった。
しかし、そのような中にも、主はご自身に忠実な残りの者たちを覚えておられた。彼らはひそかに主の御名を呼び、夜ごとに祈りをささげていた。主は彼らの叫びを聞き、こう宣言された。
**「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は覚えられることも、心に思い起こされることもない。それゆえ、わたしの造るものから喜びを見いだし、永遠に楽しめ。」**
主の声は雷のように響き、地の基までも震わせた。かつては罪に満ち、血で汚れたエルサレムも、今や主の栄光に包まれる。町の通りには、もはや泣き叫ぶ声も、苦しむ者のうめきも聞こえない。狼と子羊が共に草を食み、獅子も牛のようにわらを食べる。彼らは互いに傷つけ合わず、全地は主の知恵に満ちている。
主はご自身の民に語りかける。
**「わたしが答える前に、彼らが呼ぶのを聞く。まだ語り終わらないうちに、わたしは彼らの願いを叶える。そこでは、狼と子羊が共に飼われ、獅子も牛のようにわらを食べる。塵にすぎない蛇も、その食物とされる。わたしの聖なる山のどこにおいても、害を加えたり、滅ぼしたりするものはない。」**
かつて荒れ果てた地は、今や命の木で覆われる。その木は毎月実を結び、その葉は諸国の民をいやす。人々は家を建てて住み、ぶどう畑を作ってその実を食べる。もはや、労苦が虚しく終わることも、災いが突然訪れることもない。彼らは主の祝福された民として、永遠に安らぎの中に生きる。
そして、主はこう約束される。
**「見よ、わたしはエルサレムを喜びとし、その民を楽しみとする。もはや、泣き声や叫びが聞かれることはない。そこに住む者の寿命は、木の齢のようになり、わたしの選んだ者は、自分の手で作ったものを満足するまで用いる。彼らはむだに労することもなく、災いに会って子を産むこともない。彼らは主に祝福された者の子孫であり、その子らも彼らと共にいるからだ。」**
こうして、主の御言葉は成就する。かつて背いた者たちは、自らの行いの報いを受けたが、主に従い、その約束を信じた者たちは、新しい天と新しい地で永遠の喜びに満たされる。主の慈しみはとこしえまで続き、その約束は決して破られることがない。
**「見よ、わたしは新しいものを創造する。それは今、芽生えている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」**
主の御手によって、すべてが新しくされる。その日、全地は主の栄光を認め、永遠の平和が訪れるのである。