聖書

「安息の年とヨベルの年の物語」

**安息の年とヨベルの年**

主はシナイ山でモーセに語りかけ、イスラエルの民に次のように命じられた。

「あなたがたがわたしの与える地に入り、種を蒔き、収穫するとき、六年の間は畑を耕し、ぶどう畑の手入れをし、収穫を得るがよい。しかし、七年目には、地に全き休みを与えよ。これは主への安息の年である。その年は、種を蒔いてはならない。自然に生えた穀物を刈り取ってもならず、手入れをせずに実ったぶどうを摘んでもならない。地は完全な休みをとるのだ。」

モーセは民にこの言葉を伝え、主の戒めを心に刻ませた。人々は驚き、戸惑った。七年目に耕作をやめるとは、どうして食糧が足りるのか。しかし、主はこう約束された。

「六の年には、わたしが豊かな祝福を注ぎ、三年分の収穫を与えよう。あなたがたが七年目に種を蒔かなくても、八の年まで食べるのに十分な蓄えが残るようにする。」

民はこの約束を信じ、主の御言葉に従うことを誓った。

時は流れ、イスラエルの民は約束の地に入り、町々を建て、畑を耕した。ヨシュアの時代から幾世代も過ぎ、人々は安息の年を守り、主の恵みを経験した。六年目には驚くほど豊作が続き、倉は溢れんばかりになった。そして七年目、畑は休み、自然に育つ麦やぶどうを貧しい者や旅人が自由に取るのを許した。

しかし、時とともに信仰が薄れ、ある者たちは貪欲に陥った。

「七年目に耕作をやめるのは愚かなことだ。隣国が攻めてきたら、食糧がなくなるではないか!」

ある金持ちの地主シムオンは、密かに七年目にも畑を耕し、収穫を隠した。彼の畑は豊かに実り、彼はますます富んだ。しかし、次の六年目、主が約束した祝福はなく、虫が穀物を食い荒らし、雨は降らず、大地は乾いた。シムオンは慌てて蓄えを開いたが、そこにはカビが生え、腐った穀物しか残っていなかった。

主はモーセにこう告げられていた。

「もしあなたがたが、わたしの掟を守らず、安息の年を無視するなら、わたしは地の実りを奪い、あなたがたを敵の前にさらす。」

シムオンは悔い改め、主に赦しを乞うた。

さらに主は、五十年目を「ヨベルの年」として定められた。

「七つの安息の年、すなわち四十九年が過ぎたとき、第五十年目には、国中に角笛を鳴り響かせ、すべての者に自由を宣言せよ。これは聖なるヨベルの年である。それぞれの所有地は元の持ち主に返し、奴隷となった者は家族のもとに帰るのだ。」

この律法は、すべての土地が主のものであり、人はただその管理人にすぎないことを示していた。貧しさゆえに土地を売った者も、ヨベルの年にはそれを取り戻すことができた。借金の奴隷となった者も解放された。

ある年、ヨベルの角笛が鳴り響いたとき、長年他人の畑で働いていたエフライムは自由の身となり、先祖の土地に帰ることができた。彼は涙を流し、主を賛美した。

「主は真実なお方だ。約束を決して忘れない!」

しかし、富を蓄える者の中には、この律法を嫌う者もいた。彼らは土地を手放すのを惜しみ、解放すべき奴隷を縛り続けた。主はそのような者たちを裁かれた。

こうして、安息の年とヨベルの年は、イスラエルの民に主への信頼と、隣人への慈しみを教えるものであった。

「地はわたしのものだ。あなたがたはわたしの前に寄留者、旅人にすぎない。」

この御言葉を胸に、民は主の律法に従って歩むことを学んだ。安息の年には、大地も人も、すべてが主の御前に休み、新たな力を得たのである。

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