**ガラテヤ人への手紙5章に基づく物語**
エペソの町は、朝もやに包まれていた。東の空が薄明るくなり始める頃、街路には商人たちが店を開く準備に忙しく動き回っていた。その中に、ひとりの年老いた教師が静かに歩いていた。彼の名はティモテオス。パウロから直接教えを受けた弟子のひとりで、今はガラテヤの諸教会に自由の福音を伝える使命を帯びていた。
数日前、彼はガラテヤの信徒たちから届いた手紙を読んでいた。そこには、あるグループが「律法を守らなければ救われない」と教え、人々を混乱させていることが記されていた。彼らの心はもはや、キリストが与えてくださった自由ではなく、古い戒めの重荷に縛られようとしていた。
ティモテオスは深く息をつき、ガラテヤの信徒たちを思い浮かべた。彼らはかつて、パウロが伝えた福音を喜んで受け入れた。しかし今、彼らは再び奴隷のくびきを自ら進んで負おうとしている。彼は祈りながら、パウロの言葉を思い出した。
**「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1)**
その日、ティモテオスはガラテヤの信徒たちの集まりに招かれていた。会堂に入ると、人々の緊張した空気が伝わってきた。ある男が立ち上がり、声を張り上げて言った。
「割礼を受けなければ、神の民とは認められません! モーセの律法を守ることが救いの条件なのです!」
その言葉に、何人かがうなずき、不安そうに互いを見つめ合った。しかし、ティモテオスは静かに立ち上がり、優しく、しかし力強い声で語り始めた。
「兄弟たち、パウロはこう教えました。『もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストはあなたがたにとって何の役にも立たない方になります。』(ガラテヤ5:2) キリストの恵みによって義とされるのに、なぜ再び行いによって自分を正そうとするのですか?」
会堂は静まり返った。彼は続けた。
**「キリスト・イエスにあっては、割礼の有無は問題ではなく、愛によって働く信仰だけが大切なのです。」(ガラテヤ5:6)**
すると、ひとりの女性が涙を浮かべて尋ねた。
「では、私たちはどのように生きればよいのでしょうか?」
ティモテオスの目が温かく輝いた。
「御霊に導かれて歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満たすことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊の願うことは肉に逆らうからです。(ガラテヤ5:16-17) しかし、御霊の実を結ぶとき、私たちは真の自由の中を歩むのです。」
彼は人々を見渡し、深い慈愛に満ちた声で語った。
**「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22-23)**
その言葉を聞いて、人々の顔に安堵の色が広がった。彼らは互いに顔を見合わせ、心の中で重荷を降ろすように頷いた。
ティモテオスは最後に、こう締めくくった。
「私たちはキリストの自由によって召されました。互いに愛をもって仕え合いなさい。律法の全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛せよ』というこの一言に要約されるのですから。(ガラテヤ5:13-14)」
その日、ガラテヤの信徒たちは再び、キリストの自由の福音に立ち返った。彼らはもはや律法の奴隷ではなく、御霊によって歩む神の子として、愛と喜びに満ちた道を進んでいった。
こうして、ガラテヤの地に、真の自由の福音が再び確立されたのである。