聖書

「イザヤ書44章:神の選びと約束の物語」

**イザヤ書44章に基づく物語:神の選びと約束**

かつて、バビロンの捕囚の時代、イスラエルの民は深い絶望の中にいた。彼らは異国の地で奴隷のように働かされ、自分たちの神が本当に力ある方なのか、疑問を抱いていた。そのような暗闇の中、預言者イザヤを通して、主なる神は力強い言葉を語られた。

**神の選びと形作りの約束**

主はこう宣言された。
「ヤコブよ、わたしの僕よ。イスラエルよ、わたしが選んだ者よ。恐れるな。わたしはあなたを贖い、あなたの名を呼んだ。あなたはわたしのものだ。」

神は民に語りかけ、彼らがただの偶然の存在ではなく、神ご自身の手によって選ばれ、形作られたことを思い出させた。主は陶器師が粘土をこねるように、イスラエルを母の胎内から形作られた方であった。

「わたしは主であり、ほかに神はない。わたしのほかに救う者はない。わたしが告げ、救いをもたらし、知らせた。あなたがたの間に、異国の神々はなかった。あなたがたはわたしの証人だ。」

**愚かな偶像礼拝の虚しさ**

しかし、民の中には、異国の神々に心を寄せる者もいた。彼らは金や銀で像を造り、それを拝んでいた。預言者はその愚かさを鋭く指摘した。

「木工は木材を測り、鉛筆で線を引き、かんなで削り、コンパスで形を整え、人間の美しい姿に似せて神殿の偶像を造る。彼は森から杉を切り、あるいは樫の木を選び、それを雨の中で育てる。それは人々の燃料となり、暖をとるために燃やされる。その一部で彼は火をおこし、パンを焼き、肉を煮る。そして、残りの木で神を造り、それにひれ伏す。彼は半分を火で燃やし、その炎で肉をあぶり、満腹になる。そして暖まって言う。『ああ、暖かい。火が気持ちいい』と。しかし、残りの木で造ったものに、彼はひざまずき、祈る。『あなたは私の神だ。私を救ってください』と。」

預言者は彼らの愚かさを嘆いた。彼らは目が開いていながら、見えず、心があっても悟ることができなかった。彼らは考えもしなかった。「この木の半分は火で燃やしたではないか。その灰でパンを焼き、肉をあぶったではないか。どうして残りの木で造ったものを神として拝むのか。それはただの木切れではないか。」

**イスラエルへの慰めと回復の約束**

しかし、主は彼らを見捨てられなかった。むしろ、彼らの愚かさを赦し、再び立ち上がらせる約束を語られた。

「ヤコブよ、これらのことを覚えよ。イスラエルよ、あなたはわたしの僕だ。わたしはあなたを形造った。あなたはわたしの僕だ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。わたしはあなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪を霧のように消した。わたしに帰れ。わたしはあなたを贖った。」

そして、主はさらに驚くべき未来を語られた。

「わたしはエルサレムを再建し、ユダの町々をその廃墟から起こす。荒れ果てた地に『住め』と命じ、淵に『干上がれ』と言う。わたしはクロスについて『彼はわたしの牧者だ。わたしのすべての計画を成し遂げる』と言う。」

この約束は、後にペルシャの王クロスがバビロンを滅ぼし、イスラエルの民を解放するという驚くべき預言であった。主は歴史を支配し、ご自身の民を決して見捨てられない。

**結び:神の真実と民の希望**

こうして、イザヤの言葉は、絶望の中にいたイスラエルの民に大きな希望を与えた。彼らは、偶像の虚しさに気づき、真の神に立ち返るように招かれた。主は彼らを形作り、選び、決して忘れない方であった。

「天よ、喜び歌え。地よ、喜び躍れ。山々よ、声をあげて歌え。主はその民を慰め、苦しむ者をあわれまれるからだ。」

イスラエルの民は、この約束を胸に、再び神に信頼することを学んだ。彼らは、主こそが唯一の神であり、救い主であることを知り、異国の神々に頼る愚かさから解放された。

こうして、神の言葉は時代を超えて、今日を生きる私たちにも語りかける。私たちもまた、神の手によって形作られ、選ばれた者たちである。どんなに困難な時も、主は決して私たちを見捨てず、約束を成し遂げてくださる。

「わたしは主である。ほかに神はない。」

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