**伝道者の書11章に基づく物語:種を蒔く者の知恵**
ある日のこと、エルサレムの郊外に、ヨナタンという名の農夫が住んでいた。彼は代々続く農家の出で、父から土地を受け継ぎ、毎日畑を耕しては、季節ごとに種を蒔き、収穫を待つ生活を送っていた。しかし、ヨナタンはいつも心に迷いを抱えていた。
「もし雨が降らなかったら?」
「もし風が強すぎて種が飛ばされたら?」
「もし収穫の時期に蝗が来たら?」
彼は不安で仕方なく、種を蒔くのをためらう日々が続いた。隣の畑を持つ老農夫、エリシャはそんなヨナタンの様子を見て、ある日声をかけた。
「ヨナタンよ、なぜためらうのか? 種を蒔かなければ、収穫はないのだよ。」
ヨナタンは眉をひそめて答えた。
「でも、もし失敗したら…。せっかくの種が無駄になるかもしれない。」
エリシャは深く頷き、遠くの空を見上げながら言った。
「伝道者はこう語っている。『朝に種を蒔け。夕べにも手を休めるな。どちらが実るか、あなたには分からないからだ。もし両方とも実れば、それでよいではないか。』(伝道者の書11:6)天の風の動きを見て、『雲が西から来るから雨が降る』と予測することはできる。しかし、神の御心は誰にも計り知れない。私たちにできるのは、ただ忠実に種を蒔き、神の時に委ねることだけだ。」
ヨナタンは黙って耳を傾けた。エリシャは続けた。
「『風を見る者は種を蒔かず、雲を眺める者は刈り入れをしない。』(伝道者の書11:4)もしあらゆる危険を恐れて何もしなければ、何も得られない。神は私たちに、知恵と勇気を与えてくださる。たとえ嵐が来ても、神はその中で働かれる。」
その言葉を聞いたヨナタンは、心に決めた。次の日、彼はこれまでためらっていた種を、惜しみなく畑に蒔き始めた。朝も昼も、晴れの日も曇りの日も、彼は忠実に働いた。季節が巡り、雨が降り、太陽が照らす中で、緑の芽が土から顔を出した。
そして収穫の時が来た。ヨナタンの畑は豊かな実りに満ち、彼の心は喜びで満たされた。彼はエリシャの元へ走り、感謝を伝えた。
「あなたの言葉通り、神は私たちの労苦を祝福してくださった!」
エリシャは微笑み、こう答えた。
「覚えておくがよい。人生には予測できないことが多い。しかし、神を信じて進む者には、必ず光が与えられる。『光は甘く、目で太陽を見ることは楽しい。』(伝道者の書11:7)たとえ長い闇の中にあっても、神の時は必ず来る。だから、今日という日に忠実であれ。」
ヨナタンは深く頷き、これからも神に信頼して歩むことを誓った。彼の人生は、単なる農作業以上のものとなった。それは、神の知恵に従い、信仰をもって一歩を踏み出す者の物語だった。
こうして、伝道者の書の教えは、ヨナタンの心に深く刻まれ、彼の子孫へと語り継がれていったのである。