**平和の王国への預言**
かつて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、アモツの子イザヤは幻を見た。それは、終わりの日々についての啓示であった。
主の宮の山は、すべての山々の頂より高くそびえ、もろもろの丘の上に堂々と立っていた。そこには、すべての国々から人々が押し寄せ、こう言いながら上ってくるのをイザヤは見た。
「さあ、主の家に登ろう。ヤコブの神は私たちにご自身の道を教え、私たちはその道を歩もう。」
人々は喜びに満ち、武器を捨て、平和のうちに主の御前にひれ伏した。かつて戦いのために用いた剣は、鋤に打ち直され、槍は鎌に変えられた。もはや国は国に向かって剣を上げず、戦いの訓練をすることもなくなった。
イザヤはこの光景に深く心を打たれた。主の御言葉がエルサレムから発せられ、すべての民がその教えに従う日が来る。神はご自身の民を裁き、国々の争いを正される。人々はもはや傲慢にふるまわず、高ぶる者も地にひれ伏す。主だけがこの日にあがめられる。
しかし、イザヤの心に悲しみがよぎった。この栄光の日が来る前に、人々はまだ高慢に満ち、主を畏れず、偶像にひざまずいている。金や銀で作られた神々を拝み、自分の手の業に誇りを持っている。彼らは地に伏すべき時に、かえって高慢に天を仰ぐ。
「主は恐るべき日においでになり、高ぶる者はすべて低くされ、誇る者はすべてひれ伏す。」
人々は岩の裂け目や地の穴に隠れ、主の御前から逃れようとする。その日、主だけが高く上げられ、すべての偶像は消え去る。
イザヤはこの預言を語り終え、ユダの民に呼びかけた。
「主を畏れよ。その裁きの日が来る前に、高ぶる心を捨て、謙遜に主の御前にひれ伏せ。主だけが私たちの避け所であり、岩である。」
こうして、イザヤの言葉は民の心に響き、終わりの日の希望と、今の悔い改めの必要性を訴えた。主の平和の王国は必ず来る。しかし、その前に、人は自らの罪を認め、主に立ち返らなければならない。
そして、イザヤは祈った。
「主よ、どうかこの民の心を開き、あなたの道に導いてください。」
こうして、終わりの日の幻は、今を生きる者たちへの警告と希望として語り継がれていった。