**「富める若者の選択」**

イエスがユダヤの地を巡り、教えと癒しの業を続けておられたころ、ある日のことでした。ガリラヤからエルサレムへと向かう道すがら、ヨルダン川の東側を通過されていたとき、大勢の群衆がイエスのもとに押し寄せました。人々はイエスの言葉に耳を傾け、病人たちは癒しを求めて近づいてきました。その中に、一人の若者がいました。彼は身分の高い者で、上質な麻の衣をまとい、金の帯を締め、顔には真剣な表情を浮かべていました。

この若者は、律法を守り、神殿に献げ物を欠かさず、人々からも敬われる生き方をしてきました。しかし、彼の心には満たされない思いがありました。「永遠の命を得るためには、何をすればよいのでしょうか？」彼はイエスの前に進み出ると、ひざまずいて尋ねました。

イエスはその若者をじっと見つめ、深い慈愛に満ちた目で答えられました。「なぜ、わたしに『善い』ことを尋ねるのか。善い方は、神おひとりのみである。もし命を得たいのなら、戒めを守りなさい。」

若者はさらに尋ねました。「どの戒めでしょうか？」

イエスは静かに言われました。「『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父母を敬え。また、隣人を自分のように愛しなさい。』」

若者は胸を張って答えました。「そういうことはすべて、子供の時から守ってきました。まだ何か足りないのでしょうか？」

イエスはその若者を深く見つめ、心から愛するようなまなざしを向けられました。「もし、あなたが完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。そして、わたしに従いなさい。」

その言葉を聞いた若者の顔は曇り、喜びが消え去りました。彼は多くの財産を持っており、それを手放すことは想像もできないことでした。彼は深く悩み、ついに黙ったまま立ち去りました。

イエスは弟子たちに向かって言われました。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。繰り返すが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

弟子たちは驚き、互いを見合わせました。「それでは、だれが救われることができるのでしょうか？」

イエスは彼らを見つめ、力強く言われました。「人にはできないことも、神にはできる。神の前では、すべてが可能なのだ。」

するとペトロが進み出て言いました。「わたしたちはすべてを捨てて、あなたに従ってきました。わたしたちには何があるでしょうか？」

イエスは微笑み、こう約束されました。「はっきり言っておく。わたしのために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍を受け、永遠の命を受け継ぐ。しかし、多くの最初の者が最後になり、最後の者が最初になる。」

その日、弟子たちはイエスの言葉を心に刻み、富よりも神の国を選ぶことの大切さを悟りました。一方、あの若者は去りながらも、心に残るイエスのまなざしを忘れることができず、後ろ髪を引かれる思いで歩んでいったのでした。

（マタイによる福音書19章に基づく）