聖書

「メルキゼデクの祝福とキリストの永遠の祭司職」

**メルキゼデクの謎とキリストの永遠の祭司職**

荒野の砂塵が舞い上がる中、アブラハムは戦いからの帰途にあった。彼は五人の王たちとの激しい戦いに勝利し、捕虜となっていた甥のロトを救い出した。疲れながらも感謝に満ちた心で進むと、突然、道の向こうに一人の人物が現れた。その人は、サレムの王であり、いと高き神の祭司であるメルキゼデクだった。

メルキゼデクの姿は威厳に満ちていた。彼の衣は簡素ながらも神聖な輝きを放ち、目には深い知恵が宿っていた。彼はパンとぶどう酒を持ち、アブラハムを祝福した。

「天地の造り主、いと高き神によって、アブラハムは祝福されよ。」

その声は、風のように柔らかく、しかし力強く響いた。アブラハムは心の奥底から打たれ、戦利品の十分の一をメルキゼデクに献げた。この行為は、後に来るべき偉大な祭司の型となる出来事だった。

### **メルキゼデクの謎**

メルキゼデクは、聖書の中で突然現れ、再び姿を消す。彼には父も母も、系図も始まりも終わりも記されていない。彼は「神の子に似た者」として永遠に祭司であるとされている。この不思議な存在は、後の時代に来られる真の大祭司、イエス・キリストの影であった。

レビ族の祭司たちは、アブラハムの子孫から選ばれ、律法に従って犠牲を捧げた。しかし、彼ら自身も罪ある人間であり、完全な贖いをもたらすことはできなかった。だが、メルキゼデクのように、永遠に祭司である方が来られるなら、すべては変わる。

### **キリスト、永遠の祭司**

時は流れ、神は御子イエスをこの世に遣わされた。イエスはユダ族から出たが、モーセの律法によれば、この部族は祭司の務めとは無縁だった。しかし、キリストの祭司職は、肉の戒めではなく、朽ちることないいのちの力によるものだった。

「あなたは、メルキゼデクの位に等しい祭司とされている。」(詩篇110:4)

この御言葉の通り、イエスはメルキゼデクのように、死の力に打ち勝ち、永遠に祭司として立たれた。レビの祭司たちは次々に死んでいったが、キリストは永遠に生き、とこしえに執り成しを続けられる。

### **新しい契約の保証**

キリストがこの世に来られたのは、古い契約の不完全さを明らかにするためでもあった。律法は人を完全にすることはできず、ただ罪を指摘するだけだった。しかし、キリストは、ご自身の血によって、完全な贖いを成し遂げられた。

「このような大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。聖なる方、罪のない方、汚れのない方、罪人から離れ、天よりも高く上げられた方です。」(ヘブル7:26)

もはや、日々の犠牲は必要ない。キリストは一度だけ、ご自身を献げ、すべての信じる者を完全な者とされた。

### **信仰の確信へ**

アブラハムがメルキゼデクに献げたように、私たちも今、キリストに信頼を置く。彼こそが、天の聖所に入り、父なる神の右に座し、私たちのためにとりなしてくださる大祭司である。

荒野を歩んだアブラハムの時代から、今に至るまで、神の計画は変わらない。メルキゼデクの祝福は、キリストによって完全に成就した。私たちは、この大祭司の下で、揺るぎない希望を持って生きることができる。

「さあ、聖所に入ろう。キリストの血によって、大胆に神に近づこう。」

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