**「忠実な管理者」**
エーゲ海の風が穏やかに吹く中、コリントの町は活気に満ちていました。港には各地からの商人が行き交い、市場では色とりどりの商品が並べられていました。しかし、この繁栄の陰で、コリントの教会は分裂と誇りの問題に悩まされていました。パウロはこのことを知り、深い憂いを覚えながら、羊皮紙に筆を走らせました。
「人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義の管理者だと考えるがよい。」(Ⅰコリント4:1)
パウロの言葉は、静かな確信に満ちていました。彼は自分たちが単なる教師ではなく、神から委ねられた真理の「管理者」であることを強調しました。管理者とは、主人の財産を正しく扱う者です。パウロは、コリントの信徒たちが教師たちを勝手に評価し、派閥を作っている現状を憂い、真の評価は神のみがなさるのだと説いたのです。
**「わずかなことにも忠実であれ」**
パウロの心には、自分がコリントで過ごした日々がよみがえりました。彼は夜も昼も働きながら、福音を伝え、弱い者たちを励ましてきました。ある時は飢え、ある時は寒さに震えながらも、決して教会に負担をかけようとはしませんでした。
「わたしたちは、飢えているときもあり、渇いているときもあり、着る物もなく、虐待され、住む家もなく、苦労して自分の手で働いています。」(Ⅰコリント4:11-12)
彼の言葉には、誇りではなく、キリストのための犠牲がにじみ出ていました。コリントの信徒の中には、自分たちの知恵や富を誇る者がいましたが、パウロはむしろ「愚か」とされるキリストの十字架を誇りとしたのです。
**「父の懲らしめ」**
パウロは筆を止め、深く息を吸いました。彼の心には、コリントの信徒たちに対する父のような愛情が沸き起こっていました。
「わたしがあなたがたを愛しているので、このように言うのです。あなたがたに一万の教師があっても、父は多くありません。なぜなら、キリスト・イエスにあって、わたしが福音によってあなたがたを生んだからです。」(Ⅰコリント4:15)
彼は彼らを信仰の子として育て、時には厳しく戒めました。それは、彼らが神の国を受け継ぐ者となるためでした。パウロは、彼らが真の謙遜と忠実さを学び、神の前に正しく生きることを願ったのです。
**「神の国は言葉ではなく力である」**
最後に、パウロは力強い宣言を記しました。
「神の国は言葉ではなく、力です。」(Ⅰコリント4:20)
コリントの信徒たちが議論や派閥に明け暮れるのではなく、聖霊の力によって生きることを求めたのです。パウロは、彼らが真の信仰に立ち返り、キリストのようにへりくだって仕える者となることを切に願いました。
こうして、パウロの手紙はコリントの教会へと送られました。その言葉は、彼らの心を揺さぶり、神の前にひざまずかせる力を持っていたのです。