聖書

バベルの塔と言葉の混乱

**バベルの塔の物語**

昔、世界中の人々は一つの言葉を話し、同じ言葉で互いに理解し合っていた。人々は東の方から旅をし、シヌアルの地に平野を見つけてそこに住み着いた。その地で彼らは互いに言い合った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いて、彼らは建築の材料を準備した。

そして、人々はさらに大きな計画を話し合った。「さあ、天に届くほどの高い塔を建て、私たちの名を有名にしよう。そうすれば、私たちは全地に散らされることなく、一つになれる。」彼らは自分たちの力を誇り、神を畏れることを忘れ、自分たちの栄光を求めてこの巨大な建造物に取りかかった。

神は天から降りて来て、人間たちが建てようとしている塔を見られた。神は彼らの心を見抜き、その高慢な思いを知って、深く嘆かれた。神は言われた。「見よ、彼らは一つの民で、みな同じ言葉を話している。このようなことを始めたのだから、彼らがしようと思うことは、もはや何でもできてしまう。彼らが一つであり、同じ言葉を話す限り、彼らの思い上がりは止まらないだろう。」

そこで神は、彼らの言葉を乱し、互いに理解できないようにされた。突然、隣人同士で話す言葉が通じなくなり、混乱が生じた。建築現場では、石を運べと指示したつもりが、別の言葉で「水を持って来い」と聞こえ、作業はたちまち滞った。人々は互いに怒鳴り合い、誤解が重なり、ついに塔の建設は中断された。

こうして、神は人々を全地に散らされた。彼らはもはや一つの町に集まることができず、言葉の違う者同士で群れをなし、遠く離れた土地へと移り住んでいった。そのため、その町の名は「バベル」と呼ばれた。神がそこで全地の言葉を乱し、人々を散らされたからである。

かつては一つだった人間の誇りは、高慢の結果として砕かれ、代わりに謙遜と、神への依存が求められるようになった。バベルの塔の廃墟は、人間の力だけに頼る愚かさと、神こそが真の統治者であることを永遠に語り続けるのである。

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