**預言者マラキの最後の言葉:主の日の到来**
燃える炉のような太陽がユダの荒野を照らしていた。エルサレムの神殿では、祭司たちが日々の務めを果たしていたが、彼らの心は冷たく、神への畏れは形だけのものとなっていた。預言者マラキは、神から託された最後の警告を民に告げようとしていた。彼の声は厳しく、しかし深い悲しみをたたえていた。
「万軍の主はこう言われる。『見よ、炉のように燃える日が来る。その日、すべて高ぶる者、悪を行う者は、わらとなろう。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない』」
人々は耳を傾けたが、その目には疑いの色が浮かんでいた。長い間、預言者の言葉がなく、神の声が聞こえない時代が続いていた。彼らはすでに、神の裁きなど来ないと思い込んでいた。しかしマラキの言葉は続く。
「しかし、わが名を畏れ敬うあなたがたには、義の太陽が上る。その翼には癒しがある。あなたがたは外に出て、肥えた子牛のように躍り踊る」
神殿の庭に集まった敬虔な者たちは、その言葉に胸を震わせた。彼らは長い間、神の約束を待ち望んでいた。苦難と不信仰の時代の中でも、主の律法を守り、心から神に従おうとした者たちである。マラキは彼らに希望を見つめながら、語りかけた。
「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせ、わたしが来て、のろいでこの地を打つことのないようにする」
その瞬間、風が神殿を吹き抜け、人々の衣が翻った。まるで神の霊が彼らを通り過ぎたかのようだった。マラキの言葉は、遠い未来への約束であり、同時に今を生きる者たちへの警告だった。
**エピローグ:約束の成就に向けて**
マラキの預言から数百年後、荒野で叫ぶ声が聞こえた。それはバプテスマのヨハネ、エリヤの心と力を持って現れた預言者であった。彼は人々に悔い改めを迫り、やがて来る「義の太陽」——メシア・イエス・キリスト——を指し示した。
そして、主の日が来たとき、神の裁きと恵みは、マラキの言葉どおりに実現した。高ぶる者は砕かれ、神を畏れる者は永遠の光に包まれた。こうして、旧約聖書の最後の預言は、新たな契約の成就へとつながっていったのである。