**伝道者の書 第6章に基づく物語**
太陽が地平線に沈み、エルサレムの町を黄金色に染める頃、ソロモン王は宮殿の庭をゆっくりと歩いていた。彼の心は重く、深い思索に沈んでいた。長い統治の年月の中で、彼は富、知恵、喜びのすべてを味わい、この世のあらゆるものを手に入れた。しかし、その心には満たされない空虚が広がっていた。
「人は神から富と財宝と誉れを与えられ、その魂が望むものを何一つ欠かさないとしても、神がその人にそれを楽しむ力を与えなければ、それはむなしい。見知らぬ者がそれを楽しむのだ。」(伝道者の書6:2)
ソロモンはため息をつき、遠くを見つめた。彼の思いは、かつて出会ったある男のことに及んだ。
### **富を持ちながら楽しめない男**
その男はヨセフといい、エルサレムでも指折りの富を持つ商人だった。神は彼に多くの子宝と広大な土地、倉いっぱいの穀物と金銀を与えた。彼の食卓は毎日豪勢で、客人が絶えることはなかった。しかし、ヨセフの心には喜びがなかった。
「なぜ私は満たされないのか?」
彼は夜ごと、この問いを繰り返した。富は増え、子どもたちは成長したが、彼はそれを楽しむことができなかった。食べ物は喉を通らず、音楽は心に響かず、子どもたちの笑い声さえ、彼には空虚に聞こえた。
ある日、彼の長男が急病で倒れた。ヨセフは最高の医者を呼び、ありとあらゆる薬を試したが、少年の命は救えなかった。葬儀の日、ヨセフは涙も流さず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「もし私が百人の子をもち、長寿を全うしても、しかしその魂が満足せず、葬られるべき墓さえ与えられないなら、流産の子の方がましだ。」(伝道者の書6:3)
彼の富は何の役にも立たなかった。むなしい。すべてはむなしい。
### **むなしい人生の行方**
ソロモンはこの話を思い出し、深くうなずいた。
「たとえ人が二千年生きても、楽しみを知らなければ、何の意味があるか? すべての人は同じ所に行く。すべては塵に帰るのだ。」(伝道者の書6:6)
風がそよぎ、オリーブの木々がざわめいた。王は目を閉じ、神の声を聞こうとした。
「人は労苦して口に入れるものを得る。しかし、その食欲は満たされない。」(伝道者の書6:7)
富があっても、楽しむ力がなければ無意味だ。長生きしても、喜びを知らなければ、何の価値があろうか。愚者も賢者も、貧者も富者も、すべては同じ運命をたどる。
### **神の御手に委ねる心**
ソロモンは静かに祈った。
「主よ、あなたが与えてくださるものに感謝します。しかし、もし私がそれを楽しむ力を失うなら、それは私にとって何の益でしょうか? 私の心を満たし、私の魂に真の喜びを与えてください。」
彼は悟った。人生の意味は、富や長寿にあるのではなく、神と共に歩み、神が与える瞬間を感謝して生きることにある。
「見よ。わたしの見た善きことは、神の下で人が食べ、飲み、労苦のうちに幸いを見いだすことだ。これが神の賜物である。」(伝道者の書5:18)
夕闇が迫り、最初の星が輝き始めた。ソロモンは宮殿に戻り、静かに神の前で心を開いた。すべては移り変わる。しかし、神のみことばは永遠に立つ。
(終わり)