聖書

「信仰による義:ローマ3章の光」

**ローマ人への手紙3章に基づく物語**

太陽が沈みかけたローマの街角で、ユダヤ人と異邦人が集まる小さな集会所に、人々が静かに座っていた。外では商人たちの声や馬車の音が響いていたが、室内には深い沈黙が広がっていた。パウロが手にした羊皮紙の巻物を開き、重々しい声で語り始めた。

「兄弟たちよ、あなたがたは神の民として選ばれた者たちです。しかし、この世のすべての人々は、罪の下にあることを忘れてはなりません。」

彼の言葉は、聴衆の心に鋭く突き刺さった。あるユダヤ人の律法学者が眉をひそめ、口を開いた。

「では、私たち異邦人よりも優れているという特権は無意味なのでしょうか?」

パウロはゆっくりと首を振り、聖書の言葉を引用して答えた。

**「その通りです。ユダヤ人であれ、ギリシャ人であれ、すべての人が罪の下にあります。『義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。』(ローマ3:10-11)」**

集会所の空気が一層重くなった。人々は互いの顔を見つめ、自分たちの罪深さを思い知らされた。ある老婆が涙を浮かべ、小さくつぶやいた。

「では、誰が救われるというのでしょう…?」

パウロの目が優しく輝いた。彼は巻物をさらに広げ、神の約束を宣言した。

**「しかし今、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証しされて、現されました。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。そこには何の差別もありません。(ローマ3:21-22)」**

聴衆の中から、安堵の息づかいが漏れた。異邦人の商人が立ち上がり、震える声で尋ねた。

「では、私たちも…ただ信仰によって義とされるのですか?」

パウロは力強くうなずき、神の恵みを説き明かした。

**「人は皆、罪を犯し、神の栄光を受けることができません。しかし、神はキリスト・イエスによる贖いの業を通して、私たちを無償で義と認めてくださるのです。(ローマ3:23-24)」**

その瞬間、集会所の扉から夕日が差し込み、人々の顔を照らした。まるで神の光が、彼らの罪を洗い流すかのようだった。ユダヤ人も異邦人も、富む者も貧しい者も、共に頭を垂れ、神の前で平等であることを悟った。

パウロは最後に、巻物を静かに閉じながら言った。

**「だから、私たちは、人が律法の行いによって義とされるのではなく、信仰によって義とされると主張するのです。(ローマ3:28)」**

集会が終わると、人々は互いに抱き合い、神の恵みを喜び合った。街には闇が迫っていたが、彼らの心には、キリストの光がともり始めていた。

(終わり)

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