**イザヤ書29章に基づく物語:閉ざされた目と神の計画**
エルサレムの都は、ダビデの子孫が治めるユダの王座の中心として栄えていた。しかし、時の流れと共に、人々の心は神から遠ざかり、形だけの礼拝が横行していた。彼らは口先では神を讃えながら、心は欲望と傲慢に満ちていた。
その頃、預言者イザヤは神からの重い言葉を携え、都の広場に立った。彼の目には、人々の偽善と、やがて訪れる神の裁きがはっきりと映っていた。
**「アリエルよ、アリエルよ、ダビデが陣を敷いた都よ。おまえに年を加え、祭りを巡らせよう。しかし、わたしはおまえを苦しめ、嘆かせ、火の炉のようにする。」**
人々はイザヤの言葉を聞きながらも、耳を傾けようとしなかった。祭司たちは儀式に忙しく、長老たちは政治的策略に夢中で、民は日々の生活に追われていた。彼らは神の言葉を「見ているのに見えず、聞いているのに理解できない」状態だった。
ある夜、イザヤは幻を見た。エルサレムは敵に包囲され、人々は地に伏して助けを求めるが、その声は空しく天に届かない。まるで夢の中で叫ぶ者のようだった。神はイザヤに告げられた。
**「彼らの知恵ある者の知恵は滅び、賢い者の悟りは隠される。」**
やがて、預言の通り、アッシリアの大軍がユダに迫った。エルサレムは包囲され、食糧は尽き、人々は恐怖に震えた。王も祭司も、自分たちの力ではどうすることもできなかった。その時、初めて彼らは神に必死に祈り始めた。
すると、驚くべきことが起こった。アッシリアの陣営に神の御使いが下り、一夜のうちに十八万五千の兵が打ち倒された。敵は撤退し、エルサレムは奇跡的に救われた。
しかし、イザヤの警告は続いた。
**「この民は口先でわたしに近づき、唇でわたしを尊ぶが、その心はわたしから遠く離れている。彼らの神への恐れは、人の教えを覚えるにすぎない。」**
救われたにもかかわらず、人々の心は変わらなかった。彼らは神の奇跡を一時の幸運と捉え、再び傲慢に戻った。
それから数十年後、バビロンの軍隊がエルサレムを攻め、都は廃墟と化した。神殿は焼かれ、人々は捕囚として異国の地に連れ去られた。イザヤの預言は、すべて現実となった。
しかし、神の計画は裁きだけでは終わらなかった。捕囚の苦しみの中で、残された民の中に悔い改めの心が生まれた。彼らはついに、神の言葉を真剣に求め始めた。
そして、イザヤの預言の最後の約束が輝き始める。
**「その日、耳の聞こえない者は書物の言葉を聞き、目の見えない者の目は暗やみと濃い雲から開かれる。苦しむ者は再び主にあって喜び、貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。」**
捕囚から帰還した民は、神の真実を知った。彼らは、形だけの信仰ではだめで、心から神に従うことこそが救いであることを悟ったのである。
こうして、イザヤの言葉は、閉ざされた目を開き、聞こえない耳を解き放つ力となった。神の裁きは厳しいが、その奥には常に、悔い改める者への希望と回復の約束が隠されていたのである。