**ホセア書6章に基づく物語:愛と悔い改めの呼びかけ**
ユダの山地に朝もやが立ち込める頃、預言者ホセアは岩の上に立ち、冷たい風に衣をなびかせながら、神からの言葉を待ち望んでいた。彼の目には、イスラエルの民の背信の傷が深く刻まれていた。彼らは主を捨て、バアルにひれ伏し、自らの欲望のままに歩んでいた。しかし、神の愛は消えることがなかった。
「さあ、主に帰ろう。主は私たちを引き裂かれたが、またいやし、打たれたが、また包んでくださる。」
ホセアの唇からこぼれたこの言葉は、まるで野に咲く花のように、やがて民の心に根を下ろすことを願って語られた。彼は、民が一時的な悔い改めでなく、真実の愛をもって主に立ち返ることを切望した。
「二日の後、主は私たちをよみがえらせ、三日目に私たちを立ち上がらせ、御前に生きるようにしてくださる。」
この約束は、神の憐れみの深さを表していた。たとえ民が罪に沈んでいても、主は彼らを捨てず、いのちの道へと導かれる。しかし、ホセアの心は重かった。彼は知っていた。民の信仰は朝露のようにはかなく、太陽が昇れば消えてしまうことを。
「エフライムよ、わたしはお前に何をしようか。ユダよ、お前に何をしようか。あなたがたの愛は朝の雲のようにはかなく、すぐに消える露のようだ。」
神の嘆きがホセアを通して響いた。祭司たちは、民を教えるべきでありながら、逆に道に迷わせ、血にまみれた犠牲をささげるだけで、心から神を求めることを知らなかった。彼らは、神が求めておられるのは「いけにえ」ではなく、「誠実な愛」と「神を知る知識」であることを忘れていた。
ホセアは荒野を見渡し、荒れ果てた畑と、枯れかけたオリーブの木を目にした。それは、神の裁きがすでに始まっていることを示していた。しかし、その裁きの先には、回復の希望があった。
「わたしは彼らをいやし、彼らを愛する。わたしの怒りは彼らから離れたからだ。」
ホセアの心に、神の優しい声が響いた。たとえ今、民が苦しみの中にあっても、主は彼らを捨てず、再び招いておられた。真の悔い改めが訪れるなら、神は必ず彼らを新たにされる。
こうしてホセアは、民に神の愛と正義を叫び続けた。彼の言葉は、嵐の中の灯台のように、暗闇に迷う者たちを神のもとへと導く光となった。やがて、その呼びかけに応える者たちが現れ、真実をもって主に立ち返る日が来ることを、彼は信じてやまなかった。
(終わり)