ある時、使徒パウロはコリントの教会に宛てて、深い真理を記した。彼はこう書き記した。
「私たちはこの務めを、受けたあわれみによっておこなっているので、落胆しません。私たちは、隠されている恥ずべきことを捨て、悪巧みによって歩まず、神のことばを曲げるようなことをせず、真理を明らかにし、神の御前で、すべての人の良心に向かって、自分自身を推薦しています。たとい私たちの福音が覆われているなら、滅びる人々に覆われているのです。彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光に関する福音の光を、見えなくしているのです。私たちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。『闇から光が照り出よ』と仰せになった神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」
パウロは言葉を続けた。「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものであることが明らかになるためです。私たちは、四方から患難を受けても窮することなく、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、打ち倒されても滅びません。私たちは、いつもイエスの死をこの身に帯びています。それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかにされるためなのです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それは、死の働く私たちの身において、イエスのいのちが現れるためなのです。」
パウロの言葉は深い確信に満ちていた。「ですから、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、私たちも同じ信仰の霊を持っているので、信じているゆえに語っています。すなわち、主イエスをよみがえらせた神が、私たちをもイエスとともに、みもとに立たせてくださることを知っているからです。そして、私たちは、あなたがたとともに、すべてのことが、恵みによってますます多くの人々の間に広まって、感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるためであることを知っています。」
パウロは、困難の中にあっても揺るがない希望を語った。「ですから、私たちは落胆しません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくからです。」
こうしてパウロは、土の器のような弱い人間のうちに、神の栄光という貴重な宝が輝き出ることを示した。彼の言葉は、苦難の中で揺るがない信仰と、永遠の栄光への確かな希望を伝え続けたのである。




