荒野の風は熱く、砂が歯の間にざらりと当たる。ヨハネからバプテスマを受けてから、もう四十日が過ぎていた。イエスの唇は乾き、荒れた革のようになり、目の前には死海の青が、遠くでゆらめいていた。昼は灼熱の太陽が岩を焼き、夜は急に冷え込み、獣の遠吠えが聞こえることもあった。
「もし神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
声は突然聞こえた。荒れ野に一人きりのはずなのに、誰かがすぐ脇に立っている気配がした。振り向くと、そこには一人の男が立っていた。ごく普通の旅人のような姿だが、目だけが異様に冴えていた。
イエスは足元の石を見下ろした。確かに、ひもじさは骨の髓までしみ渡っている。だが、彼はゆっくりと首を振った。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」
するとたちまち、周りの景色が変わった。エルサレムの神殿の頂上に立っていた。下を見下ろせば、人々がアントニア要塞の方へ歩いているのが見える。高さに目がくらみそうになる。
「もし神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らはあなたをその手に載せて』と書いてあるではないか。」
誘惑する者は聖書の言葉をさえ弄んだ。イエスはしばらく眼下の町並みを見つめてから、静かに言った。
「『あなたの神を試してはならない』とも書いてある。」
再び景色が一変した。今度は非常に高い山の頂に立っていた。眼前には、ローマ帝国の栄華が広がっている。アクロポリスの神殿、エジプトの穀倉地帯、ガリアの森――世界中の国々が霞んで見える。
「もしひざまずいて私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
声の主は、まるで世界の真の支配者のように振る舞った。イエスはその言葉に一瞬も迷わなかった。
「サタンよ、退け。『あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ』と書いてある。」
その瞬間、誘惑する者の姿は消え、ただ荒れ野の風だけが吹き抜けていった。すると、どこからともなく天使たちが現れ、彼に仕え始めた。夕日が死海を赤く染め、遠くで野羊の群れが岩陰に消えていく。イエスは再び孤独になったが、今の孤独は先ほどまでのものとは違っていた。父のみこころに従って歩む道が、はっきりと見えていたからだ。
やがて、ヨハネが捕らえられた知らせが届いた。イエスはガリラヤへと向かった。荒れ野を離れる道すがら、彼は人々の暮らしを思い浮かべた。漁をする者、畑を耕す者、ローマの税に苦しむ者――すべて父が愛しておられる人々だ。
「悔い改めよ、天の御国が近づいたから。」
そう宣言する時が来たことを、彼は知っていた。




