聖書

主の囲いの中に

山々がエルサレムを取り囲んでいるように、主は御自分の民を、今も、とこしえまでも取り囲んでおられる。

それは、ヨセフが幼い頃から知っている風景だった。彼の家は、オリーブ畑が広がる丘陵の斜面にあり、西から吹き下ろす風が、石造りの家の隙間をうなるように通る。窓からは、遠くにエルサレムの城壁が霞んで見え、その背後には、確かに山々の稜線がぐるりと町を抱くように連なっていた。祖父はよく、その景色を指さして言ったものだ。「見よ、ヨセフ。あの山々がどんなに揺るぎなく、どんな嵐の日も変わらずそこにあるか。主への私たちの信頼は、あの山々のようでなければならない」

祖父はもうこの世にはいない。ヨセフの手には、祖父が使い込んだ羊皮紙の巻物が、重たい温もりを残して握られていた。詩篇の言葉が、彼の心を静かに打つ。

*主に信頼する者は*
*揺るがないシオンの山のように*
*とこしえに座している。*

その「揺るがなさ」が、今の彼には遠いものに思えた。エルサレムは、ローマの重い支配の下にあった。税吏の取り立ては厳しく、隣人からは土地を狙う貪欲な目がちらつき、世の中全体が、不安定な小舟のように、目に見えない荒波に揺さぶられている気がした。自分の心さえも。彼は堅固な山などではなく、風に翻弄される一枚の木の葉のようだ。

ある夕暮れ、彼は気がつくと、幼い日々に祖父と共に歩いた東の丘の道を登っていた。足元の小石がざくざくと音を立て、野生のタイムの香りが夕風に混じる。登り切ったところで振り返ると、エルサレムの町全体が、夕焼けに赤く染まり、その周囲をぐるりと取り巻く山々の影が深く落ちている。かつて祖父が指さした、まさにその風景だ。しかし今日、彼の目に映ったのは、単なる地形ではなかった。

山々は、ただ町を物理的に囲んでいるだけではない。彼らは沈黙していた。ローマ兵の行進の騒音も、市場の喧騒も、ここには届かない。山々は、あらゆる騒動、あらゆる権力の移り変わりを、何百年、何千年もの間、ただ黙って見下ろしてきた。暴政も、戦いも、人々の悲嘆も、すべてを飲み込みながら、しかし山そのものは微動だにしない。その存在自体が、一つの約束のように思えた。*取り囲んでいる*という約束。

祖父の声が、記憶の中ではっきりと蘇った。「悪の支配が正しい者に及ばないように。正しい者が間違った事に手を伸ばさないように」。山々は、町を守る砦ではない。むしろ、山々そのものが、主の「囲い」の顕現なのだ。目に見えるこの不変の地形は、目に見えない、しかし確かな神の庇護の「かたち」なのだと、その時、ヨセフは腑に落ちるように理解した。ローマの支配は確かに現実だ。しかし、それは山々の頂を覆う一時の雲に過ぎない。山そのものを動かすことはできない。

彼は深く息を吸った。冷たい空気が肺の奥まで広がる。自分の中にあった不安や憤りが、少しずつ、この広大な風景の中に溶け込んでいくようだった。彼は揺るがない山にはなれない。しかし、その山々に*囲まれて*生きる者にはなれる。主の囲いの中に、自分の小さな生を置く者にはなれる。それは、外界の嵐が突然止むということではない。彼の畑が明日から税に苦しまなくなるわけでもない。しかし、意味が変わった。彼の信頼の座すべき「場所」が、見えてきた。

下山の道を歩きながら、彼はふと、ある出来事を思い出した。つい先日、隣人の畑の境いをめぐって、叔父が激しい口論をしていた。相手は狡猾な男で、密かに境界の石を動かそうとしていた。ヨセフはその時、叔父をなだめ、相手にも穏やかに、しかしはっきりと話をつけた。なぜあの時、平常心でいられたのか。今、わかった気がした。それは、自分が山々のように強かったからではない。自分が、山々に守られた町の一員であることを、無意識のうちに思い出していたからだ。囲いの中にいる者は、自らが囲いになろうと躍起になる必要はない。そうすればこそ、「間違った事に手を伸ばさ」ずにいられる。囲いの中の平安が、彼に正しい判断と行動の自由を与えていたのだ。

家に戻ると、妻がランプの灯りで縫い物をしていた。柔らかい光が彼女の横顔を浮かび上がらせる。彼はそっと羊皮紙の巻物を棚に収め、窓辺に立った。外はもう真っ暗で、山々の姿は見えない。しかし、彼はその存在を、皮膚で感じるかのようだった。闇の中にあって、なお変わらずそこにある、確かな輪郭。

「おじいさんが言っていたことが、ようやくわかった気がする」と、彼はそっと呟いた。

妻は針を止め、彼を見上げて優しく微笑んだ。何も聞かずに、彼の声の調子で全てを理解したように。

主に信頼する者のありようは、揺るがない山のようだ。それは、個人の心がけの比喩であると同時に、はるかに大きな約束の宣言でもあった。人は誰しも、このシオンの山のように完全に不変ではいられない。だが、主は、そのような私たち一人一人を、エルサレムを囲む山々のように、今も、とこしえまでも、確かに取り囲んでおられる。その囲いの中に安住する時、私たちの内にも、山のような揺るぎない平安の核心が育まれていく。悪の支配は、その核心を、その安住の地を、奪うことはできない。

ヨセフはランプの灯りを眺めながら、静かな感謝が胸に広がるのを感じた。明日もまた、現実の困難は待ち受けているだろう。それでもよい。山々は、闇の中でも、そこにある。

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