エーゲ海から吹いてくる風が、テサロニケの港に塩の香りを運んでくる午後だった。アンブロシオスは、皮革なめし場の仕事を終え、肘まで真っ黒に汚れた腕を洗いながら、ふと、先週アリストスから聞いた言葉を思い出していた。あのパウロという男、タルソス出身のテント職人が、ユダヤ人の会堂で、そして今はティラノスの講堂で語るあの話。死者がよみがえるという。アンブロシオスは、去年熱病で亡くした幼い娘の顔を思うと、胸が締め付けられるような思いだった。異教の神々は、あの子の魂をどこへやってしまったのか。ハデスの闇の中か。それとも、ただの塵に帰るだけなのか。
彼は仕事場を後にし、西に向かう狭い路地を歩き始めた。壁には剥げ落ちた漆喰の下から、古いディオニソスの壁画がかすかに顔をのぞかせている。街角では、奴隷たちが重い陶器を運び、ローマの役人が馬車で通り過ぎる。すべてが、いつもと変わらない日常のざわめきだ。しかし、アンブロシオスの心には、もう一つの現実が芽を吹き始めていた。アリストスが、パウロの言葉を熱心に、時に吃りながら伝える様子。「彼は言うんだ、『神の御心は、あなたがたが聖なる者となることだ』って」。聖なる者。それは、神殿に仕える祭司のような、遠い存在を指す言葉ではなかった。アンブロシオスが毎日扱う羊皮のように、自分のありのままの生活、欲望、手の汚れの中に、何か別の生き方が示されているのだという。
数日後、彼は思い切って、金細工師のアリストスの家を訪ねた。小さな中庭には、十人ほどの男女が集まっていた。ローマ風の髪を結った女性、額に汗の光る荷運び人、目に知性の光を宿す年老いた学者風の男。そこには、この街でよく見る社会的な境目が、どこかぼやけていた。パウロ本人はもういない。エペソへと去った後だ。代わりに、シラスという、落ち着いた物腰の男が、羊皮紙の巻物を前に座っていた。
話は、すぐに、誰もが知りたがっていたあの疑問へと向かった。共同体のうちの一人、ステパノスが、先月、階段から転落して死んだのだ。彼の妻、マリアは、深い悲しみに沈み、「主が再び来られる時、彼は置き去りにされるのではないか」と泣いていた。
シラスは巻物をゆっくりと広げた。窓から差し込む斜陽が、彼の顎の線を浮かび上がらせる。「兄弟たち。既に眠りについた人たちについては、希望を持たない他の人々のように悲しんでほしくありません」。彼の言葉は、重く、しかし確かだった。アンブロシオスは、自分の娘の小さな墓を思い出し、息を詰めて聞いた。「私たちが信じるように、イエスが死んで復活されたからです。神は、同じように、イエスを信じて眠りについた人々を、イエスと一緒にご自身のもとに連れて来てくださいます」。ここには、哲学者のような巧妙な論理はなかった。あるのは、あのナザレのイエスという一人の男の死と、その体を持った復活という、衝撃的な事実だけが土台となっていた。シラスは続けた。「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの響きのうちに天から下って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人々が、まず最初に復活し、次に、私たち生き残っている者が、雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と出会うのです」。
空中で主と出会う。その言葉の奇怪さ、そして途方もない希望。アンブロシオスの頭には、よく理解できない部分もあった。しかし、シラスの口調には、確信がある。これは、詩的な比喩でもなければ、魂だけの抽象的な救いでもない。まるで、遠征から帰還する将軍を市民が城門で出迎えるように、現実の時と場が約束されているというのだ。「ですから、その言葉をもって互いに慰め合いなさい」。
集まりが終わり、人々が帰路につく頃、外はすっかり暗くなっていた。アンブロシオスは、マリアに近寄り、何か言葉をかけようとしたが、うまく出てこない。代わりに、彼は黙って、彼女が持っていた重い水瓶を取って、彼女の家まで運ぶことにした。道すがら、シラスが語った別の言葉が、彼の心に蘇った。「主にあって死んだ人々」について語る前に、彼が長く時間を割いたのは、驚くほど現実的で、地に足のついた勧めだった。「神があなたがたを召されたのは、不品行ではなく、聖潔にあずからせるためです。だれも、このことに関して兄弟を欺いてはなりません」。それは、この港町で日常的に行われている淫らな習慣や、欲望のままの関係を、鋭く指し示していた。アンブロシオス自身、かつてはそれらの楽しみに何の疑問も抱かなかった。「神は、不品行をさばく方です」。その言葉は、恐怖ではなく、ある種の解放のように響いた。自分の体が、ただの欲望の器ではなく、ある尊いもの、神の「器」として招かれているのだという感覚。それは、異教の祭儀で体験した陶酔とは全く違う、深く静かな覚悟のようなものだった。
そして、「兄弟愛」について。シラスは、それを抽象的に説かなかった。むしろ、アンブロシオスの隣に座っていた、かつての商売敵であるリュキア人をそっと指さし、「あなたがたは、それを、ますます豊かにするようにと、モーセの律法を通して教えられています」と言った。モーセの律法。ユダヤ人ではない彼らにも、その精神は及ぶのだ。それは、具体的には、自分の仕事で余った皮革を、貧しい信徒に分けることかもしれない。あるいは、このように、悲しむ兄弟の妻の重荷を、無言で肩代わりすることかもしれない。
月がテサロニケの屋根瓦を青白く照らす中、アンブロシオスは家路を急いだ。彼の心は静かだった。娘は、ただの思い出でも、ハデスの影でもない。彼女は、「主にあって眠っている」。そして、あの不思議な約束によれば、再び会う日が来る。その日まで、彼はここで、聖なる者として、自分の手で皮をなめし、隣人を愛し、静かに、しかし確かに、夜明けを待ち続けるのだ。港の向こうから、微かに潮騒が聞こえる。すべてはまだ、目には見えない。しかし、風のわずかな変化が、新しい季節の訪れを告げるように、彼の内側には、朽ちることのない希望という確かなものが、静かに根を下ろし始めていた。




