聖書

ヨルダンの夕べに想う主の導き

夕暮れがヨルダン川の水面を鈍い鉛色に染めていた。対岸に見える丘陵の輪郭は、もうほとんど闇に溶け込んでいる。シメオンは腰を下ろした岩の冷たさを足の裏に感じながら、ゆっくりと革袋の口を緩めた。水の気配がほんのりと上がってくる。この川を渡った日のことは、今でも瞼の裏に焼き付いている。あの日、祭司たちの足が川床に踏み入れた瞬間、上流で水がせき止まり、土の匂いが立ち上った。民は息を呑んだ。沈黙の後、涌き上がった歓声。そして、わたしたちはこの地へと歩み入った。

彼は袋から少し水を口に含んだ。喉が潤う。ふと、これよりもっと渇きを覚えた砂漠の日々を思い出した。あの灼熱の道で、どうして生き延びられたのか。答えはただ一つだった。主が共におられたからだ。

記憶はさらに遡る。エジプトだ。彼が少年だった頃、レンガの泥の匂いと、監視の鞭の音は日常だった。父は重い石材を運びながら、夜になると囁くように言ったものだ。「我らの神は生きておられる」。その言葉は、奴隷の小屋の暗闇の中で、かすかな灯りのように揺れていた。

やがてモーセが現れた。口べらしの男と言われた彼が、王の前で「民を行かせよ」と宣言する姿は、どこか頼りなくも見えた。しかし、それから起こったことは、夢か現かわからないほどの数々のしるしだった。ナイルの水が血に変わり、蛙が氾濫し、暗闇が三日続いた。あの過越の夜は、今でもはっきり覚えている。子羊の血が戸口に塗られ、家中で死を待つ恐怖に震えながら、わたしたちは無発酵のパンを急いで食べた。外では叫び声が上がった。エジプトの家々に死が訪れたのだ。そして、ついに解放された。荷物を担ぎ、幼子を連れ、混乱の中を東へと歩き出したあの朝。背後には、すべてを奪われた怒りに燃えるファラオの軍勢が迫っていた。

紅海に追い詰められた時、民は絶望した。前は海、後ろは戦車の隊列。モーセが杖を上げると、東風が激しく吹き始め、海水がまるで壁のように立ち上がった。道が開かれた。わたしたちは乾いた地を駆け抜けた。振り返れば、水の壁がうず高くそびえ、エジプトの軍勢が道なき道に突入してくる。そして、モーセが再び手を伸ばすと、水は元の場所に戻り、戦車も馬も兵士もすべて飲み込まれた。砂浜に打ち上げられる遺体を見た者もいた。その時、わたしはただ跪いた。これが我らの神の御業か、と。

荒野の旅は苦難の連続だった。喉の渇きは常に付きまとった。メリバでは岩から水が涌き出た。あの岩は、打たれると命の水を注ぎ出した。空腹には、朝ごとに地面を覆う白いマナが応えた。夕べにはウズラの群れが飛来した。食べ尽くせばまた次の朝に備えられる。計算もできないような年月、衣が古びず、足が腫れなかったのはなぜか。昼は雲の柱が灼熱から覆い、夜は火の柱が闇と寒さを照らしてくれた。道を示すその光がなければ、わたしたちはすぐに方角を見失っていただろう。

敵も多かった。背の高いアモリ人、強大なオグの軍勢。戦いの前には必ず恐れがよぎった。しかし、主が共に戦ってくださった。戦いはわたしたちのものではなく、主のものだった。剣や腕力ではなく、主の御手によって勝利が与えられた。それは、ただ恵みによるものだった。功績でもなければ、資格でもない。ただ、主が覚えておられた約束のゆえに。

そして今、ここにいる。約束の地。乳と蜜の流れる地。すべての族は割り当ての土地を受け、ようやく安住の時が来たように見える。シメオンはゆっくりと立ち上がった。足元の草に露が降り始めている。東の空には、一番星が淡く光った。

彼は胸の内で言葉を紡いだ。
天地を形づくられた方。太陽と月に昼と夜を委ねられた方。
エジプトの軛から、這い蹲る我らを引き抜かれた方。
紅海を分け、荒野を導き、敵を退けられた方。
覚えやすい定められた言葉で賛美すべきなのかもしれない。だが、このからだ全体が覚えている。渇きも、恐怖も、そしてそれらを越えた救いの確かさを。それは、まるでこの流れる川のように、途切れることなく続いてきた。
その慈しみは、確かに、とこしえに続く。

風がそっと吹き抜け、川面にさざ波が立った。闇は深まり、星々が増えていく。シメオンは最後に、遠くエリコの町の方角に目をやった。明日もまた、新しい一日が始まる。かつて先祖が夢見た地で。彼は歩き出した。宿営へと向かいながら、彼の心には一つの確信があった。この先、どのような明日が来ようとも、彼をここまで導かれた御手は、決して変わることがない、と。

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