ケバル川の岸辺に座り、埃っぽい風が流れてくるのを感じていた。その日は特に重い空気が張り詰めていた。七月の灼熱が、バビロンの土地を鉄板のように焼いていた。捕らわれの民の間に流れる噂は、いつも遠いエルサレムのことだった。崩れ落ちそうな祖国、迫り来るカルデアの軍勢――。祈りは、もはやため息に近かった。
そして、声が来た。
それは内部から響く、圧倒的な響きだった。言葉ではない。意志そのものが、骨の髄までに沁み渡るような確信となって迫ってきた。「人の子よ、一枚のれんがを取り、それをあなたの前に置け。その上に都エルサレムを刻み付けよ。」
理由は尋ねられない。預言者に与えられたのは、理解ではなく従順だ。私はゆっくりと立ち上がり、作業場の隅で乾ききった粘土の板を探した。手のひらに収まる大きさだ。尖った石を見つけ、蹲り、その表面に向かって刻み始める。城壁の線。神殿の区画。町を貫く谷。私の知るエルサレムの細部が、無機質な粘土の上に蘇っていく。每一線が、胸を締め付ける。これはもう地図ではない。墓碑銘だ。
「包囲塁を築け。陣地を設けよ。陣営を張り、四周に攻城槌を据えよ。」
声は続く。私は小さな石を集め、れんがの周りに積み上げた。子供の遊びのようでありながら、その行為には途方もない重力がかかっていた。私の指先の動きが、遠い千里の彼方で起ころうとしている現実と、不気味に同期している気がした。
「そして、あなたは鉄の板を取り、それをあなたと都の間に立てて鉄の壁とせよ。顔をそこに向けよ。都は包囲され、あなたはそれを攻めよ。これはイスラエルの家へのしるしである。」
鉄の板。私は戸惑った。どこに? どうやって? しかし意志は私を動かした。小屋の陰に捨てられていた、鋤の欠片を見つける。錆びた、冷たい鉄板。それを立てるには土に突き刺さねばならない。私は無我夢中で地面を掘り、その鉄片をれんがと私自身の間に、ぐらりともろく立てた。それはみすぼらしい盾のように見えた。しかし、その向こうに刻まれたエルサレムを見つめる瞬間、すべてが変質した。鉄の冷たさが、神の決意の不可侵を伝えた。その壁を通して、もう同胞に手は届かない。彼らは包囲され、私は彼らを「攻める」者となる。預言者の孤独が、鉄の味のように口の中に広がった。
次に告げられたことは、私の肉体そのものへと命令は及んだ。
「あなたは左脇を下にして三百九十日、また右脇を下にして四十日を横たわれ。あなたの顔をエルサレムの包囲された方に向け、腕をむき出しにして、エルサレムに向かって預言せよ。」
三百九十日。四十日。それは年月の刑罰の宣告だった。私はゆっくりと地面に横たわった。左脇が砂利の感触を覚える。鉄の板の向こうの、刻まれた都を見据えたまま。一日が、一時間のように長い。背中と肩の関節が疼きだす。蟻が腕を這う。太陽が移動し、影が伸びる。ただ、そこにいること自体が預言なのだ。民の罪の重さを、この肉体をもって引き受ける象徴。私の沈黙と不動が、最大の叫びとなる。
そして、食べ物のこと。
「あなたは小麦、大麦、豆、レンズ豆、粟、ふの小麦を取り、一つの器に入れてパンとせよ。あなたの横たわる日数、すなわち三百九十日の間、それを食べよ。」
細かく量られた穀物のリスト。それはかつての豊かさの名残でもあり、今は混ぜ合わせられるしかない雑さの象徴でもあった。だが、さらに続く言葉に私は息を詰めた。
「その食物を人の目につくほど量り、一日二十シケル、時に食べよ。水もまた、ヒンの六分の一、時にこれを飲め。大麦のケーキとして食べ、それを人の糞で焼け。人の目の前でそうせよ。」
胃が逆流しそうになった。糞。不浄の極み。祭儀的に忌み嫌われるもの。それを燃料として、聖なる都の罪のパンを焼け、と。
その瞬間、私の中で、預言者としての役割と、一人の人間としての限界が激突した。私は声を上げた。叫びではない。絞り出すような抗議の祈りだった。
「ああ、主なる神よ。わたしは汚れたことをしたことがありません。幼い時から今まで、自然に死んだ獣や、裂き殺されたものを食べたことがありません。忌まわしい肉が私の口に入ったことはありません。」
沈黙があった。その沈黙は、私の慟哭を聞き入れているかのようだった。
そして、答えが返ってきた。
「よかろう。わたしはあなたに牛の糞を人の糞の代わりに与える。あなたはその上でパンを焼け。」
神は、折り合われた。牛の糞。それはまだ不浄ではあるが、日常で触れる範囲の穢れだ。私は涙がこぼれそうになるのを感じた。それは譲歩というより、神が私の人間性を、その限界を知った上で用いられることの確認だった。私はなおも横たわりながら、穀物を混ぜ合わせ、水で練った。近所の者が捨てていった乾いた牛の糞を集め、火を点け、その煙たい炎の上で薄いケーキを焼いた。煙は目に染み、奇妙な匂いがまとわりつく。食べるその味は、灰のようだった。一日二十シケル。腹は常に空き、喉は渇いていた。水はほんの僅か。エルサレムが包囲された時に民が味わう飢えと渇きが、この身体を通して少しずつ沁み込んでいく。
日は過ぎた。左脇の痛みは鈍い痺れに変わり、やがて無感覚に近づいた。皮膚は地面に擦れて荒れた。通りかかる捕囚の民たちは、最初は好奇の目で見ていた。次第にその視線は、憐憫か、あるいは恐れに変わった。私が鉄の板と刻まれたれんがに向かって腕を伸ばし、ただ黙って横たわる姿が、彼らに語りかけていた。それは説教以上の何かを伝えていた。やがて誰も近づかなくなった。私と、私に課されたこの奇怪な劇場は、ケバル川の情景の一部、苦い風物詩となっていった。
三百九十日。やがて身体を右に翻す日が来た。それでも視界の中心には、あの鉄の板と、その向こうの粘土の都があった。四十日は比較的短く感じられた。あるいは、感覚が麻痺していたのかもしれない。
最後の日、私はゆっくりと、関節が軋む音を立てながら起き上がった。鉄の板は相変わらず錆びて、もろく立っていた。刻まれたエルサレムの線は、雨と風でいくらかぼやけていた。私はそのれんがを手に取り、じっと見つめた。
私が焼き、食べたあの灰のようなパン。飲んだわずかな水。すべては、こう言うためにあった。
「見よ、わたしはエルサレムで彼らの頼みとするパンを断つ。彼らはパンを量り、不安のうちに食べ、水を量り、驚きのうちに飲む。それはパンも水も乏しくなり、互いにその罪のために衰え果てるためである。」
私の個人的な苦しみは、終わった。しかし、それが指し示す現実は、もう始まっていた。私はれんがをそっと地面に置いた。もう、模型は必要ない。預言は、私の身体を通してこの地に刻み込まれ、今や空気のように捕囚の民の間に満ちている。彼らが目を東に向ける時、そこには鉄の壁のような絶望しか見えないだろう。それが、私が三百九十日と四十日をかけて、身をもって描いた真実だった。
川の流れの音が、再び耳に入ってきた。私は再び、ただの捕囚の民の一人に戻ることはない。鉄の味と、灰のようなパンの味は、私の舌の上に、永遠に残るだろう。




