エルサレムの石畳は、夕立の後の湿り気をわずかに含み、足裏にひんやりとした感触を伝えていた。ヨセフは西の門近くの丘の縁に腰を下ろし、遠くに広がる町並みを見下ろした。戻ってきた、この町に。何度思っても、その思いは胸の奥で静かな驚きとしてよみがえる。捕囚の記憶は、遠い悪夢のように色あせているが、砂漠を踏みしめて帰ってきた足の裏のひび割れは、まだ完全には癒えていなかった。
風が丘を渡り、彼の白くなった鬢を揺らす。その風に乗って、下町からは職人たちの槌の音、女たちの笑い声が断片的に聞こえてくる。主は砕かれた心を包み、散らされた者を集めてくださる。彼は唇を動かさずに、その言葉を反芻した。かつてバビロンの河辺で、竪琴を柳の木に掛けて泣いた者たちの、あの深い傷さえも、今はこの町の石積みのように、少しずつ、しかし確かに修復されつつあるのだ。
ふと目を上げると、東の空には早くも星が一つ、かすかに瞬いていた。昼間の青空を支配していた雲は、いまや淡い桃色に染まり、山羊の群れを追う少年の笛の音に合わせるように、ゆっくりと北へ流れていく。主は雲を呼び、雨をもたらし、山に草を生えさせられる。この丘の斜面に広がる緑、その根元には小さなスミレが雨滴を宝石のように宿している。すべては御言葉の一つで成る。彼は思う。数えきれない星の名を一つ残らず呼び、その運行を定める方にとって、このエルサレムの、否、この一人の老人の心のひだにまで目を留めることは、なんという気遠い慈しみだろう。
腹を空かせた雀の群れが、とんとんと地面をつつく音がした。彼は懐からひとかけらのパンを取り出し、細かく砕いて投げてやる。主は獣に食物を与え、若い烏が鳴き叫ぶとき、それに答えてやられる。すべての命は御手のうちにある。かつては軍馬の轟き、鎧の触れ合う音にこそ力があると思っていた。しかし今や彼は知っている。主が喜ばれるのは、主を畏れる者、主の慈愛を望む者であることを。
国境に平和が置かれた。この数年、戦いの噂は遠のいている。畑では小麦の穂が重たげに頭を垂れ、オリーブの木には青い実が無数に結ばれている。冬の記憶もまた鮮やかだ。主が雪を羊毛のように降らせ、霜を灰のように散らされる朝。窓の外は真っ白な静寂に包まれ、子供たちの歓声だけが冷たい空気を切り裂いた。やがて御言葉の風が吹き、氷を解かせると、そこから命の水がわき出し、土を潤した。厳しさの先には、必ず養いがある。これが主の律法なのだ。
彼はゆっくりと立ち上がった。足元には、自分が砕いたパンの屑を目当てに、蟻の列ができている。小さな、懸命な命。夕闇が迫り、エルサレムの家々からは、日ごとの感謝の煙が細く立ち昇り始めた。主は御言葉をヤコブに、掟と定めをイスラエルにお示しになった。この確かな道標こそが、何よりの恵みだ。星の数も知り尽くす方の知恵が、民の歩みを照らす灯火として与えられた。それは馬の力よりも強く、雪の冷たさよりも確かなもの。
ヨセフは最後にもう一度、町を見つめた。窓に灯がともり、影が揺れる。傷ついた心が癒され、集められた民が、今、ここで息づいている。賛美はふさわしい。主をほめたたえることは、良いことだ。彼の口からは、古い歌、新しい感謝、すべてが混ざり合う言葉が、夕風に乗ってごく自然に流れ出た。それは完璧な律動ではなく、ところどころで間を取り、息継ぎをする、ただひとりの老人の、深くからの祈りだった。




