聖書

灰の中の祈り

その日、エルサレムは灰の味がした。空は鉛のように重く、低く垂れ込み、かつて栄光に満ちた神殿が聳えていた丘は、今は黒く焼けた石の歯が無様に並ぶ顎のように見えた。私はその廃墟の傍らに立っていた。足元に転がるのは、精巧に彫られた天使ケルビムの破片。かつて黄金に輝いた翼は、煤で汚れ、雨に叩かれて色あせている。風が吹き抜けるたび、瓦礫の隙間からうめきのような音が立ち上る。それは祈りなのか、それとも、この場所に封じ込められた無念の嘆きなのか。

名前はエリアキム。かつては神殿に仕える者たちの末裔だと語り継がれてきた。今は、ただの年老いた陶器職人だ。手には粘土の名残がしみついている。その手で、今、冷たい焼け石を撫でている。父は、祖父は、まばゆいばかりの青銅の海の輝き、香壇から立ち上る甘い煙のことを、夜を徹して語ったものだ。その話を聞きながら、私は少年の目に、白亜の壁と碧い空の対比を鮮やかに焼き付けていた。けれども、私の現実はこれだ。色のない世界。灰と土と絶望の色。

「天を裂いて…」 唇がひとりでに動いた。古い言葉が、喉の奥から湧き上がってくる。「…あなたが降られますように。山々があなたの御前に震えますように。」

祈りというより、嗚咽に近い。かつて預言者が叫んだその言葉が、今、この焼け跡で、私自身の血肉を切り裂くナイフのようだ。なぜなら、その続きを知っているから。「火が柴を燃やすように、火が水を沸き立たせるように」と。我々の罪は、この結果を生んだ。神の沈黙は、あまりにも重い。

記憶がよみがえる。バビロンからの帰還。あの時の高揚感。荒れ果てた地を見てなお、希望に胸を震わせたあの日々。皆で石を運び、基礎を据え、再建の第一歩を祝った。だが、何かが違った。形は戻りつつあった。壁は築かれた。しかし、父が語った「栄光」は戻らなかった。代わりに、私たちの内側にあったのは、疲れと、小さな争いと、自分さえ良ければという心だった。異邦の神々への好奇心さえ、ひそやかに芽生えていた。儀式は行われ、犠牲は捧げられた。しかし、それはまるで、慣例としての、無難な義務のようになってしまっていた。

そして、再び訪れた破滅。どこの軍勢だったか、もはや重要ではない。火は、形ばかりの建物を、心の中に潜む不実さと同じように、容赦なく飲み込んだ。神は、我々が作った偽りの器を、焼き清めるかのように。

雨がぽつりと落ちた。乾いた灰の上に、小さな黒い染みができる。私はうつむき、破片をひっくり返した。その裏側に、ほんのわずか、かすかに青色が残っていた。エフード族のラピスラズリを使った装飾の名残だ。その青は、どんな画家のパレットにもない、深く豊かな色だったと父は言った。神の座を飾る色だと。

「我々はみな、汚れた者のようになり…」 ため息が零れる。「我々の正しい行いはすべて、汚れた着物のようです。」 この手で、美しいつぼを作ることができる。滑らかな曲線、均一な厚み。窯から取り出した時、完璧な青の輝きに、自ら惚れ惚れする。しかし、その器に水を注げば、ほんのわずかなひびから水は漏れ出す。外側は華やかでも、内側は脆い。これが我々なのだ。神の前での我々の正しさとは、そんなものだった。

遠くで、子どもたちの声が聞こえる。瓦礫の山を駆け上がり、石を投げ合って遊んでいる。彼らには、ここが何であったか、ほとんど理解できない。灰は彼らの日常だ。これが、我々が次の世代に残した世界か。神の怒りは、幾世代にもわたって滴り落ちる鉄の味なのか。

しかし、預言の言葉は、そこで終わらないことを、私は知っている。絶望の底に、一筋の粘り強い祈りが織り込まれていることを。

「けれども、主よ。あなたは父です。私たちは粘土です。あなたは陶器師です。私たちは皆、あなたの御手のわざです。」

この焼け石を握りしめる。この私も、この廃墟も、この失望も、すべてが「陶器師」の御手の中にあるというのか。破れ、砕かれ、使い物にならないと判断された器さえも。

風が強くなった。丘の上から、オリーブの木がざわめく音が聞こえる。雨粒の数が増えてきた。私はゆっくりと腰を下ろし、濡れ始めた地面をじっと見つめた。

祈りは、雄弁な言葉ではない。形のないうめきである。長い沈黙である。この灰の味を嚥下することである。

陶器師が、一度形づくった器に失望した時、彼はそれを砕く。しかし、その砕かれた破片を、彼は捨ててしまうだろうか。それとも…水で溶かし、捏ね直し、まったく新しい土として、もう一度、ろくろの上に載せるだろうか。

雨は、灰を泥に変えていった。汚れた着物のように見えた世界が、しっとりとした黒い土の色に変わっていく。それは何も生み出さない死の灰ではなく、何かを育む可能性を秘めた湿土だ。

私は立ち上がった。足は重い。しかし、心の中に、ほんの小さな、暖かいものが灯ったような気がした。それは希望というにはあまりに微かで、かすかな疼きのようなものだ。

天は裂けていない。今は。山々は震えていない。しかし、陶器師の手は、静かに、忍耐強く、砕かれた粘土を集め始めているのかもしれない。いつか、再び、火が下る日が来るとしても。それは、すべてを焼き尽くす怒りの火ではなく、新しい器を焼き締める、聖なる炎として。

私は振り返らずに、坂を下り始めた。背中に、冷たい雨と、遠い日の預言者の祈りとが、同時に染み込んでいくのを感じながら。

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