日差しがまだ柔らかな朝、ヨルダン川を渡ってユダヤに入られたイエスの周りには、いつものように群衆が寄り集まっていた。彼らは何か語られるのを待ちきれないという様子で、互いに肩を押し合い、砂埃の中で足を踏み鳴らしていた。弟子たちも、少し緊張した面持ちで先生の背後に立っていた。一行の目的地はエルサレムであるということが、仄聞されていたからだ。
さて、人々のざわめきを遮るように、ファリサイ派の者数人が押し出てきた。彼らの衣の縁は清潔に保たれており、群衆の埃っぽさとは一線を画していた。一人がわざとらしく咳払いをして、聞こえよがしに尋ねた。
「先生。夫が妻を離縁することは、律法において許されているのでしょうか」
その問いには、罠の匂いがした。当時、離婚の理由を巡っては、様々な解釈が乱立していた。彼らは論争に引き込もうとしているのだ。イエスは彼らの顔をじっと見つめ、その目は岩のように落ち着いていた。
「モーセはあなたがたに何と命じたか」
彼らは得意げに答えた。「モーセは、離縁状を書いて妻を去らせることを許しました」
するとイエスは、深いため息のような息をつかれた。その声は、周囲の雑音を一瞬にして消し去るほど静かでありながら、すべての者の心臓に響くようだった。
「あなたがたの心が頑なであったために、モーセはそのような規定を設けたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とに造られた。それゆえ、人は父母を離れてその妻に結ばれ、二人は一体となる。人が神が結び合わせたものを、引き離してはならない」
弟子たちは顔を見合わせた。これはあまりにも厳しい教えだった。後に家に戻ると、彼らは再びこの件を尋ねた。イエスは部屋の薄暗がりに腰を下ろし、疲れた足を伸ばされながら、しかし言葉は明確に語られた。
「妻を離縁して他と結婚する者は、姦淫を犯すことになる。妻が夫を離縁して他と結婚するのも、同じことだ」
子どもたちが連れられて来たのは、そのような重い空気がまだ残る午後のことだった。母親たちは幼子を抱き、祝福を請おうと近づいてきた。弟子たちは煩わしげにそれを遮った。先生は大事なことを話しておられるのだ、と。しかしイエスは、その様子を見て心を痛められた。
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」
そう言うと、彼らの小さな体を優しく腕に抱き、一人一人に手を置いて祝福された。子どもたちの髪の匂い、柔らかい頬の感触。その何の飾り気もない信頼が、まるで風のように、それまで議論で淀んでいた空気を清らかに洗い流していった。
物語が進むにつれ、彼らはエリコに近づいていた。すると、一人の男が走って来て、ぴたりと目の前でひざまずいた。息は切れ、目は真剣な光に輝いていた。身なりの良い、どこか誇り高げな青年であった。
「善い先生。永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」
イエスはその問いを一瞬退けられた。「なぜ、わたしを善いと言うのか。神おひとりのほか、善い者はだれもいない」。しかし、青年の真摯な眼差しを見て、続けられた。「戒めはご存じだろう。殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」
青年は顔を輝かせて答えた。「先生。そういうことはみな、子どもの時から守ってきました」
イエスは彼を見つめ、慈愛に満ちた、しかし深く悲しげな眼差しを向けられた。それは、彼の中にある一つの巨大な欠落を見透かすようなまなざしだった。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」
その言葉は、青年の顔からあの輝きを一瞬で奪い去った。彼の肩が落ち、俯いた。彼は多くの財産を持っていた。その重さが、今、彼の魂を地に引きずり下ろすかのようだった。彼は何も言えず、うなだれたまま、群衆の中に消えていった。その背中を見送りながら、イエスは周りの弟子たちに言われた。
「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」
弟子たちはその言葉に驚愕した。当時の常識では、富は神の祝福の証と考えられていたからだ。イエスはさらに言葉を重ねられた。
「子らよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
弟子たちはいよいよ驚き、互いに言った。「それでは、だれが救われるのだろうか」
イエスは彼らをじっと見つめ、その不安な表情を包み込むように言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」
するとペトロが口を開いた。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」
その言葉に、イエスの表情は深い温情に緩んだ。彼が今まで見せた中で、最も暖かな微笑みが唇に浮かんだ。
「はっきり言っておく。わたしのため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、あるいは畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」
一行はエリコを通り過ぎようとしていた。道端には物乞いがいた。盲人のバルティマイである。彼は群衆のざわめきを聞きつけ、何が起こっているのかを周囲に尋ねた。「ナザレのイエスが通り過ぎようとしておられる」。その名前を聞いた瞬間、彼の体に衝撃が走った。彼は持てる力のすべてを込めて叫んだ。
「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!」
人々は彼を叱りつけ、黙らせようとした。しかし彼はますます激しく叫び続けた。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください!」
その叫びは、群衆の喧騒をも貫き、イエスの耳に確かに届いた。イエスは足を止められた。「あの男を呼んで来なさい」。弟子たちが行って盲人に言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」
バルティマイは上着を脱ぎ捨て、跳び上がった。そして、人々に手を引かれながら、イエスの前に立った。埃っぽい道、遠くで響くラバの鈴の音、照りつける日差し。すべては彼にとって音と感触と熱だけの世界だった。
「わたしに何をしてほしいのか」
その声は、彼がこれまで聞いたどの声とも違っていた。深く、静かで、すべてを知っているようでありながら、同時にすべてを待っているような響きがあった。
「先生。目が見えるようになりたいのです」
一瞬の沈黙があった。そして、その声が再び聞こえた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」
その言葉と同時に、世界が炸裂した。光が、色が、形が、一瞬にして彼の存在に押し寄せてきた。最初に見たものは、埃まみれの自分の足だった。そして、見上げた先にあったのは、日に焼けた一人の男の、深い憐れみに満ちた眼差しだった。彼は従った。ただ、その顔の光に向かって。エルサレムへの道を、彼らと共に歩み始めた。その背中には、かつて彼を包んでいた闇の痕跡は、何一つ残っていなかった。




