夕暮れがエルサレムの丘を赤く染めるとき、宮殿の奥の間には、重い空気が流れていた。アデン王は、肘を石の窓辺に置き、遠くに見える平野を見つめていた。地平線の彼方には、敵の陣営の篝火が、無数の蛍のようにちらちらと揺らめいている。明日には、その軍勢が都に迫るという報告があった。王の胸中には、冷たい鉛のような重みが淀んでいた。戦車の数、兵の練度、積み上げた兵糧――計算はすべて敵が上回っていた。彼は深く息を吸い込み、革の鎧の脇に立てかけた、使い古された巻物に目をやった。それは父から譲り受けた詩篇の写しだった。
「苦難の日に、主があなたに答えるように。」
彼の唇が、ほとんど息のようにその言葉を紡いだ。祈りというより、暗闇に向けた呻きに近かった。宮殿の下では、町の灯りが一つ、また一つと点り始めている。民たちは、この危機を知っている。彼らもまた、それぞれの家で、同じ不安を抱えて夜を迎えているに違いない。
夜が更けるにつれ、王は礼拝の庭へと足を向けた。月明かりだけが、燭台の輪郭を浮かび上がらせる。彼はそこで、老いた祭司エリアスに出会った。エリアスは、何も言わずに若き王の横に立ち、ともに沈黙した。やがて、老祭司が囁くように言った。「聖所から、あなたを助けられよ。シオンから、あなたを支えられよ。」それは、古い祝福の言葉だった。王はうなずき、しかし胸のつかえは消えない。「すべての素祭を心に留め、あなたの全焼の獣祭を受け入れてくださるように。」エリアスが続けた。その言葉は、王に、明日の朝、正式に犠牲を捧げる儀式を行うことを思い起こさせた。形式だけの行為ではない。この危機のただ中で、それは王と民とが、ただひたすらに天を仰ぐ唯一の手段だった。
夜明け前、王は浅い眠りから覚めた。夢の中では、父の声が聞こえたような気がした。「お前の心の願いをかなえ、お前の計画をすべて実現させてくださるように。」目を開けると、窓の外にはまだ星が残っていたが、東の空がほのかに白み始めていた。計画――そう、彼には戦略がある。しかし、その計画が、単なる人間の浅知恎ではないことを、どうやって確信できようか。
朝、太陽が丘を照らす頃、宮殿の前の広場には人々が集まっていた。農民も、商人も、工匠も、幼子を抱いた女も。彼らの顔には疲れと恐れの影があったが、目は宮殿の門に向けられていた。門が開き、アデン王が鎧姿で現れると、かすかなどよめきが群衆を走った。王は、祭司たちに囲まれ、石で組まれた祭壇の前に進み出た。雄牛が連れられ、荘厳な、しかしどこか切ない唸り声をあげる。煙と炎が立ち上り、油脂の匂いが朝の空気に混じった。その時、エリアスが両手を高く掲げた。
「我らは、あなたの救いを喜び歌おう。我らの神の御名によって旗を揚げよう。主が、あなたの願いをすべてかなえてくださるように!」
その叫びは、広場にこだました。すると、奇妙なことが起こった。最初は一人の老女からだった。彼女が跪き、細い声で祈り始めた。その祈りは、隣の男に伝わり、また子供に伝わり、やがて群衆全体が、それぞれの言葉で、王のための祈りをささげ始めたのだ。それは、整った合唱ではなく、波のように押し寄せては引く、ざわめくような祈りのうねりだった。王はその声を聞き、突然、喉の奥が熱くなった。この民の祈り――これが、父が常に語っていた「聖所からの助け」なのかもしれない。彼は、自分一人の重荷ではないことを、その時、骨身に染みて感じた。
儀式が終わり、兵士たちが陣営へ向かって行進を始めようとした時、王はふと、自分の最も信頼する隊長、ヨナタンに話しかけた。「我々は、戦車の数を誇り、馬の速さを頼みとする。」彼は、敵軍の強大な機動力を思い浮かべながら言った。ヨナタンは黙ってうなずいた。すると、王は続けた。「しかし…我らは、我らの神、主の御名を唱える。」その言葉を口にした瞬間、彼の内で何かが変わった。不安の塊が溶け、確信とは違う、しかし深い落ち着きに変わっていくのを感じた。それは、計算上の勝算が増したからではない。支えが、地上の物から、見えざるものへと移ったからだ。
戦いは、三日後に起こった。砂漠からの熱風が吹き荒れる日だった。アデン王の軍勢は、数的には圧倒的に不利だった。しかし、戦いが始まると、奇妙なことが起こった。敵の戦車隊が突撃しようとした時、乾ききった川床が、前夜の誰も知らなかったにわか雨でぬかるみ、重い戦車の車輪を次々と捕らえた。敵軍は混乱し、命令系統が乱れた。アデン王の側は、軽装備で機動性を重視していたため、その混乱に巧みに付け込んだ。戦いは長期化せず、夕刻までには、敵は撤退を始めた。
勝利の報せが都に届いた夜、宮殿では祝宴が催されたが、王は早々に席を立ち、再びあの石の窓辺に立った。平野の篝火は、もう敵のものではなく、自分たちの兵士たちのものだ。彼は、心の中で繰り返した。あの広場での祈り、煙の中に消えていった犠牲、民たちのざわめくような声――それらすべてが、今日のこの瞬間へと繋がっていた。
「主は、油注がれた者を救われる。」
彼は、巻物の言葉を思い出した。油注がれた者。それは王である自分自身のことだ。しかし、その救いは、王冠のためだけではなく、広場に集まったあの民ひとりひとりのためでもあったのだ。彼らの祈りが、王を支え、王の祈りが、民を包む。その相互の信頼の輪の中に、神の答えはあった。
月が中天に昇り、冷たい光を城壁に注いでいた。王は、肩の力をふっと抜いた。苦難の日は去ったわけではない。明日にもまた、新たな問題が押し寄せるだろう。しかし、彼はもう、窓辺で孤独に重いため息をつくことはないと確信した。シオンから、聖所から、そしてこの都に住む民の祈りから、目に見えない支えが絶えることなく湧き上がってくる。彼はそっと手を合わせ、これが祈りなのか感謝なのか、自分でも分からない言葉を、静かな夜の空気に託した。
遠くから、兵士たちの歌声が風に乗って聞こえてきた。それは、勝利の凱歌ではなく、どこか懐かしい、詩篇の一節のように思えた。王は目を閉じ、また新しい朝が来るのを待った。




