聖書

契約と背信の記憶

エルサレムの南、ヒンノムの谷を見下ろす高台に立つと、風が変わることがある。乾いた砂塵の匂いから、突然、遠い記憶のような湿った土の匂いに変わる。それは、この丘がまだ名もない砦だった頃、最初の雨がこの地を潤した日のことを、思い出させるかのようだ。

エゼキエルはその風を受けながら、目を閉じた。主の言葉が、彼の内側を満たし、溢れ出ようとしていた。それは優しい響きではなかった。痛みを伴う、深いため息のような言葉。彼は口を開いた。

「お前のことを語れ。エルサレムよ。お前の出生の由来を。」

声は低く、谷間に吸い込まれていった。聴く者はいないと思われた。しかし、彼の言葉は、壁や石に刻まれるように、そこに留まった。

「お前の生まれ故郷はカナン。父はアモリ、母はヘト。」彼はそう言うと、間を置いた。それは、聞き手に、かつてこの地を支配していた諸民族の名を思い起こさせるためだった。彼らの中に、この町の根源はあった。

「そして、お前が生まれた日のことだ。」エゼキエルの声に、奇妙な温かみが宿った。残酷な比喩の幕開けであることを知りながらも、その語り口は最初、慈しみに満ちていた。

「生まれたその日、へその緒も切られず、水で清められることもなく、塩でこすられることもなく、布に包まれることさえなかった。お前を見て憐れむ目は一つもなく、これらのことを一つもしてもらえず、生まれた日に、荒野の面に、投げ捨てられた。」

情景が浮かぶ。血の気の引いた嬰児。喘ぐような泣き声もすぐに枯れ果て、灼熱の太陽と乾いた風が、その小さな体を襲う。それは、何の価値もない、忘れ去られるべきものの最期であった。

「しかし、わたしがお前の傍らを通り過ぎた時、お前は血まみれで、もがいているのを見た。」語り手の声が変わる。一人称になる。それは、預言者を通して語られる、神自身の声だ。

「わたしは、『その血の中にあって生きよ、育て。』と言った。野の植物のように、お前は育った。成長し、美しく膨らんだ。乳房はふくらみ、髪は生い茂った。だが、裸のままであった。」

ここで語りは、ほのかな、苦い愛おしさを帯びる。神は、この捨てられた命を、理由もなく、ただ一方的に憐れんだ。彼が通りすがりに見出し、命を与えた。それはあくまで、彼の憐れみの自由な行使であった。エルサレムという町、イスラエルという民の存在そのものが、最初から、無条件の恵みの産物だった。

「再び、わたしがお前の傍らを通り過ぎた時。見よ、お前は恋の盛りであった。わたしは衣の裾をお前に広げ、お前の裸を覆い、誓いを立て、契約を結んだ。そして、お前はわたしのものとなった。」

婚姻の契約。それは政治同盟などではなく、人格と人格を結ぶ、深い愛の契りとして描かれる。神は王としてではなく、花婿として近づく。裸とは、無力さ、無防備さの象徴であった。神はそれを、きらびやかな衣で包み込む。

「わたしは水でお前を洗い、血を洗い流し、油を塗った。亜麻布の衣をまとわせ、くつを履かせ、 fine linen の飾り帯で締め、絹の外套を着せた。宝石で飾り、腕輪をはめ、首飾りを付け、鼻に輪をはめ、耳に輪飾りを付け、頭に豪華な冠を載せた。」

リストは延々と続く。金、銀、上等の穀物、蜂蜜、オリーブ油。それはすべて、花婿たる神が、花嫁に与えた持参金、すなわち祝福の数々だ。エジプトの奴隷状態からの救出、荒れ野における養い、カナンへの導き、ダビデ王朝の確立、ソロモンの栄華…。歴史的救済の業が、ここでは一人の女性を飾る宝物として語られる。

「お前の名声は国々に広まった。わたしがお前に与えた輝きによって、それは完璧な美しさに達した。」エゼキエルの言葉には、かつての栄光への、一抹の憧れと、途轍もない裏切りへの予感が入り混じる。

そして、転機が訪れる。語りは暗転する。

「しかし、お前は自分の美しさに頼り、その名声によって淫行を行った。すべての通行人に情欲のままに裸をさらした。」

比喩はここから、痛ましいまでに具体的になる。神から与えられた宝石や貴金属で、偶像の像を作り、それと姦淫を犯す。与えられた食物や香料を、異教の神々への供え物として捧げる。花婿から贈られた最高の贈り物を、他の男たちへの媚びの具とする。それは、救いの歴史そのものの冒涜であった。

「お前はまた、わたしがお前に与えた子どもたちさえ取り、彼らを過ぎ越して、彼らに食物とさせた。お前の淫行は、これだけでは足りなかったのか。」

最悪の核心が露わになる。偶像モレクへの子どもいけにえの習慣が、ここでは、神から授かった子孫(おそらくユダの民)を、異教の実践のために消費する、という恐るべき姦淫として描かれる。愛と信頼の関係は、完全に、恐ろしいものへと変質した。

語り手の声は、怒りに震え、しかしその根底には、深い傷ついた愛がある。

「ああ、淫行を犯す妻よ。代わりに他人を受け入れる。すべての淫婦は贈り物を受けるものだ。しかし、お前はすべての愛人に贈り物を与えた。彼らを四方から招き寄せ、お前のもとに淫行をさせた。お前の淫行は、普通のそれとは違う。遊女が雇われるように、お前は誰からも雇われなかった。お前は、遊女とは反対のことをした。」

ここに、イスラエルの背信の特異性が示される。彼女は、報酬目当てで不貞を働く通常の娼婦ですらない。むしろ、報酬を支払ってまで、相手を求める。つまり、異教文化との混合、政治的な外国依存(エジプトやアッシリアなど)は、何の利益ももたらさないばかりか、国力を消耗させる愚行だった。それが、神への背信という本質的な愚かさに拍車をかけた。

預言者の声は次第に、神の断罪の宣告そのものへと溶けていく。

「それゆえ、淫婦よ。主の言葉を聞け。わたしは、お前が情欲を燃やした愛人たちすべてを、お前に敵対して集める。彼らをお前に向かわせる。彼らは、お前の美しい器物をすべて奪い取り、裸のままにする。彼らは、お前の群れや子女を連れ去り、火でお前を焼き尽くす。」

裁きは、彼女自身の行為の論理的帰結として描かれる。彼女が頼み、支払いまでした諸外国は、やがて真の敵として彼女を襲い、略奪し、破滅させる。それは神が外部から下す罰というよりも、彼女自身の淫行が必然的にもたらす破局だ。

しかし、驚くべきことに、物語はそこで終わらない。裁きの宣言の後、再び、長い沈黙のような間が訪れる。ヒンノムの谷からは、薄暮の靄が立ち昇り始めていた。

そして、エゼキエルの声が、最初とは違う、疲れと、それでも消えないある種の執着を込めて、最後の言葉を付け加えた。

「しかし、わたしはわたしの誓いを思い起こす。お前が若かった日に、わたしが結んだ契約を。わたしはお前と、永遠の契約を立てる。こうして、お前はわたしが主であることを知るようになる。わたしが、すべてを赦した後にも。」

それは、破局の先にある、遠い約束であった。裁きは確かであり、完全である。しかし、神の契約への執着は、それをも超える。彼の憐れみは、最初の憐れみと同じく、理由のない、自由な決断として、再び訪れるだろう。それは、新しい契約として。

風は再び変わり、冷たい夜の気配を含み始めた。エゼキエルは、暗くなりゆく谷を見下ろした。そこには、かつて子どもがいけにえとして捧げられた、トフェトの跡があった。彼の語った物語は、この町の過去であり、現在であり、そして、理解を超えたある未来への、苦い希望の予感でもあった。言葉は消え、沈黙が戻った。しかし、その沈黙は、もはや何も語らなかった最初の沈黙とは、全く違うものに満ちていた。

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