聖書

贖罪の夜、新たな大祭司の光

夕闇がエルサレムの石壁を鈍い金色に染めていた。アルテモンは、油のランプがかすかに揺れる部屋の隅で、古びた羊皮紙を広げていた。外からは、過越の祭りの準備に忙しい街の喧騒が聞こえてくる。しかし、彼の心は静まり返っており、むしろその喧噪さえ遠く、底深い静寂の一部のように感じられた。手にあるのは、ローマから届けられた手紙の写しだった。友人が、異邦の地で苦闘する同胞たちに宛てて書いたというその文面は、アルテモンの胸に、懐かしさと同時に鋭い問いを突きつけていた。

彼はかつて、神殿の境内で父の働きを見ていた。父は祭司の一族に連なる者ではなかったが、毎年の贖罪の日には、純白の衣をまとった大祭司が至聖所に入っていく厳かな瞬間に、皆と共に息を殺したものだ。あの荘厳な儀式。そして、大祭司自身も、民のためだけでなく、自分のためにも罪の捧げ物をささげねばならなかったという事実。幼心に、それは何となく矛盾に満ちた、重たい現実として感じられた。完全な者などいない。祭司でさえ、弱さの中にある。

羊皮紙の言葉は、その記憶を静かに揺さぶった。

「すべての大祭司は、人々の中から選ばれ、神に属する事柄について人々のために任命されるのです。それは、ささげ物といけにえとを、罪のためにささげるためです。」

アルテモンは目を閉じた。瞼の裏に、雄牛や山羊の血が注がれる祭壇の光景が浮かぶ。煙と香料の匂い。それは確かに神聖なものではあったが、同時に、何かが繰り返される、終わりのない営みでもあった。年に一度。また来年も。父の時代も、祖父の時代も、ずっとそうだった。

ふと、彼はかつて耳にした、ガリラヤの教師のうわさを思い出した。ヨルダン川で洗礼を授け、病人を癒し、そして…ローマの総督によって十字架につけられた、あの男。人々は彼を、ダビデの子、メシアと呼んだ。ある者は今も信じていると聞く。その名はイエス。友人の手紙は、そのイエスについて、驚くべきことを記していた。

「キリストもまた、大祭司の栄誉を自分で得られたのではありません。『あなたは、わたしの子。今日、わたしがあなたを生んだ』とおっしゃった方から得られたのです。」

アルテモンの思考はゆっくりと巡った。生ける神の子。それならば、罪も弱さもない完全な方ではないか。では、なぜ? なぜ苦しみと死を?

手紙の言葉は続く。それは、彼がこれまで思い描いたどの大祭司の像とも異なっていた。

「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その深い信仰のゆえに聞き入れられました。彼は子であられるのに、お受けになった苦しみによって従順を学び、完全な者とされて、すべて彼に従う者たちに対し、とこしえの救いの源となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」

「従順を学び」。その言葉が胸に深く刺さった。神の子でありながら、学ぶ。苦しみを通して。アルテモンは、自分がこれまで抱いてきた「完全」という概念が、浅はかで硬直したものだったことに気づき始めていた。神殿の儀式が象徴していたのは、外面的な清めの繰り返しだった。だが、ここで語られているのは、内側から、経験を通して染み込んでいく、生きた従順だった。それは、雄牛の血では達成できない、もう一つの現実を示しているようだ。

彼はため息をつき、ランプの灯りを見つめた。煙がゆらめき、壁に揺れる影を落としている。メルキゼデク。その名は稀に聖書に現れる、謎めいた人物だ。アブラハムに祝福を与え、十分の一を受け取った。彼には父も母も系図もなく、その祭司職は永遠に続くと詩篇で歌われている。アルテモンは思った。アロンの家系に連なる祭司たちは、死によってその務めが絶える。父から子へ。しかし、このメルキゼデク、そして今、この手紙が語るキリスト…そこには血筋ではなく、いのちそのものに根ざした、終わりのない祭司職がある。

部屋の外から、幼い子供が駆け足で通り過ぎる音がした。祭りを心待ちにする笑い声。アルテモンは、その無邪気な響きに、ふと深い憐れみのような感情に襲われた。民は、知らず知らずのうちに、年ごとの儀式に、絶えざる赦しと介入を願い、すがっていた。それは確かに神の備えられた道ではあった。しかし、この手紙は、もはや繰り返されることのない、一度で成し遂げられた介入について語っている。苦しみを知り、死を味わい、そしてそれを越えられた方による、決定的な執り成し。

夜風が窓から入り込み、羊皮紙の端を揺らした。アルテモンは、自分が今、神殿の境内に立っているのではなく、この小さな部屋で、一つの巨大な転換点の只中にいることを感じた。石と犠牲獣の宗教から、苦しみと復活による、生きた関係性への移行。大祭司はもはや、年に一度、民から隔絶された至聖所に入る神秘の人物ではない。彼は、私たちの弱さを共に味わい、試練に会われた方だ。だから、私たちは、彼に近づくことを恐れずに良いのだ、と手紙は優しく、しかし力強く促している。

彼はもう一度、最初のほうの節を黙読した。

「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。」

これが、答えだった。神殿の大祭司の白い衣装の下にも確かに弱さはあったが、それは隠され、覆われるべき欠点だった。しかし、キリストにおいて、弱さは、私たちへの深い同情へと変容する通路となった。神の子の尊厳と、人間の苦しみの現実。その二つが、十字架という一点で交差し、裂かれた幕のように、まったく新しい道を開いた。

アルテモンは羊皮紙を巻き、そっと机に置いた。祭りの喧噪はまだ続いている。しかし、彼の内側には、あの年に一度の贖罪の日に感じた緊張や畏れとは異なる、静かで確かな安らぎが広がっていた。それは、すべてが完了した、という知らせを聞いた者の安堵に似ている。もはや、今年の罪を来年に持ち越す必要はない。もはや、自分より聖なる仲介者を恐れて遠くに立つ必要はない。

ランプの油が尽きかけ、灯りが細くなっていく。彼は暗闇の中で、目に見えないけれど確かな執り成し手が今も生きて働いておられること、そして、その方が、メルキゼデクのように、始まりも終わりもない永遠の祭司であることを思った。外のエルサレムは、古い契約の祭りを祝おうとしている。だが、この部屋の中では、新しい、生ける契約が、静かに、しかし確かに、一人の男の心に根を下ろし始めていた。それは、律法の行いではなく、信仰による、そして、私たちの弱さをも等しく引き受けてくださる、真の大祭司への信頼であった。闇が深まる中、アルテモンはそれまで以上に鮮明に、一筋の光を見出しているのを感じた。

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