聖書

ソロモンの神殿建設への道

神殿を建てる季節が、とうとう巡ってきた。

父ダビデが幾度となく夢に見ながら、その手で礎を据えることを許されなかったあの神殿である。ソロモンは、エルサレムの王宮の高殿から北の方角を眺めていた。風が変わり、夏の暑さがほんのりと和らぐ、そんな朝だった。彼の心には、父の言葉がよみがえってくる。戦いと血に染まった手では、主の住まいを建てることはできない、と。父は悔しそうに、しかし深く諦観をもってそう言った。今、その時が自分に与えられたのだ、とソロモンは思った。

計画は綿密だった。しかし、どんなに優れた設計図も、それを形にする材木と石がなければ意味をなさない。イスラエルの地には、巨大な建造物を支えるに足る杉の大木はない。必要なのは、レバノンの森、あの深く豊かな香り高い森の木材であった。

ソロモンは書記官を呼び、慎重に言葉を選ばせた。隣国ツロの王ヒラムへの書簡である。ヒラムは父ダビデの友人であり、その友情は真摯なものだった。父のためにも、この縁を大切にしなければならない。書簡は、まず父とヒラム王との厚い情誼に言及し、主が自分に与えてくださった平穏を感謝し、そして神殿建設の志を伝える。最後に、レバノンの杉と糸杉の材木を切り出す樵たちを派遣してほしい、と願う内容だ。代価は、ヒラム王が定めるままに支払うと約束した。

使者が北へ向かってからしばらくの間、ソロモンは不安を覚えた。王同士の交渉は、友情といえども利害が絡む。果たして、あの森の富を自由に使わせてくれるだろうか。しかし、その懸念は、ヒラムからの返書が届いた時に消えた。

ヒラムの使者は、王の直筆の巻物を携えてきた。それを広げると、ヒラムの喜びが躍るように記されていた。「主は今、ダビデに賢い子を与え、この大いなる民を治めさせておられることを、私は聞いて大いに喜んだ」。言葉は礼儀正しく、しかしどこか温かみを帯びている。杉や糸杉の材木の要請には、快く応じるとあった。ヒラムは言う。自分の樵たちがレバノンの山で木を切り倒し、それをいかだに組んでイスラエルの指定する港まで海路で運ぼう。その代わり、ソロモンの宮殿には、豊かな食物で自分の家来たちの必要を満たしてほしい、と。

ソロモンはほっと胸を撫で下ろした。そしてすぐに、この返答が単なる取引以上のものであることを悟った。ヒラムは、父ダビデへの尊敬と、この神殿建設という事業そのものに、共鳴しているのだ。契約は成立した。

すぐに動きは始まった。ソロモンはヒラムの要請に応え、小麦と純粋なオリーブ油を毎年送ることを約束した。一方で、イスラエル全土から労役に就く者を募った。三万人もの男たちが選ばれ、一か月をレバノンで働き、二か月を家で過ごす交替制が敷かれた。監督にはアドニラムが任じられた。ソロモンはまた、八万人の石切りを山に送り込み、七万人の運搬人を任命した。それに加えて三千三百人の監督官が、民を指揮して仕事を進めさせた。

仕事場は、賑わいと喧騒に包まれた。レバノンの山中では、ヒラムの工匠たちの指揮のもと、斧を振るう音、木の倒れる地響きのような音、そして切り出された巨木が運び出される軋む音が絶え間なく響いた。杉の木の、どこか清々しい、深い香りが森全体に立ち込め、労働者たちの汗の匂いと混ざり合った。切り出された材木は、海岸まで曳かれ、そこで巧みないかだに組まれる。太い縄で結わえられた材木の塊は、波を押し分けて南へと下って行く。

イスラエルの地では、それとは別の仕事が進んでいた。エルサレム近郊の採石場では、石切りたちが巨大な石の塊と格闘していた。丁寧に測り、楔を打ち込み、石の肌理を読みながら、設計図通りの形に切り出していく。槌と鑿の音が、乾いた空気に鋭く響いた。切り出された石は、運搬人たちによって牛車に載せられ、ゆっくりとエルサレムの丘へと引き上げられていく。まだ組み上がってもいないのに、それらの巨大な礎石は、やがて建つ神殿の威容を静かに予感させた。

ソロモンは時折、これらの現場を訪れた。レバノンに赴くことは叶わないが、エルサレム近くの採石場や、材木が陸揚げされる港には足を運んだ。彼はただ視察するだけでなく、働く男たちの顔を見た。額に汗し、塵にまみれ、時には不満そうな表情も見せる。彼は彼らに話しかけ、労をねぎらった。王のそんな気遣いが、次第に民の心を動かしていった。最初は重い労役としか思っていなかった仕事が、主のための聖なる業なのだ、という意識が、ほのかにではあるが広がり始める。

年月が流れた。丘の上には、まだ形にはなっていないが、夥しい数の材木と石が積み上げられ、一日ごとにその山が形を変えていった。ソロモンは、ダビデから受け継いだ設計図を幾度となく眺めながら、父の無念を思い、自分に託された使命の重さをかみしめた。これは単なる立派な建物ではない。主がその名を置くための場所。イスラエルの民の信仰が集う中心。父が戦いによって得た平穏の上に、自分が知恵によって築くべき、目に見える契約のしるしなのだ。

ある夕暮れ、そよ風が運んでくるレバノン杉の遠い香りをかぎながら、ソロモンは思った。ヒラムの友情と、数万の民の労苦と、そして何よりも主の計らいが、この巨大な準備を可能にしている。切り出される一つ一つの木、切り刻まれる一つ一つの石が、やがて一つに組み合わさる時を想像すると、彼の胸は不思議な高揚感で満たされた。すべては、まだ始まったばかりであった。しかし、この着々と進む準備の日々そのものが、既に神聖な物語の一章を形作っていることを、彼は感じ取っていた。静かな決意が、彼の心を満たした。主が与えてくださった平和のうちに、この業を完遂させなければならない。父の夢を、民の願いを、そして何より主の御心を、この地に刻みつけるために。

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