聖書

廃墟の祭司と沈黙の啓示

風は、焼けた石の匂いを運んでくる。乾いた、細かい土煙が、裂けた革のサンダルの間から足の甲に降りかかる。アナトは丘の中腹で立ち止まり、肩で荒い息を整えた。目の前には、かつて「高き所」と呼ばれた場所が広がっていた。今はただの石の集積で、かつての形を留めているのは、中心の黒く煤けた祭壇の台座だけだった。

彼は祭司だった。いや、正確には、かつて祭司であった。今は何者でもない。荒廃したこの地に立つ、影のような老人にすぎない。彼の目は、祭壇の周りに散らばった石一つ一つを、ゆっくりと追った。この石は羊の血を受けたか。あの割れた石材の下からは、バアル像の欠片が去年の大雨で現れた。青銅でできた小さな腕だった。彼はそれを拾おうとしたが、結局そのままにした。触れる資格も、処分する資格も、自分にはもうないと思ったからだ。

遠く、周囲の山々は紫がかった霞の中に沈みつつあった。エゼキエルが、あの恐ろしい言葉を語り始める前は、これらの山々は命に満ちているように見えたものだ。緑のオークの木々が茂り、春には斜面全体が赤や黄の野の花で覆われた。人々はここに登り、新しい穀物を捧げ、子羊を屠り、太陽の神へと讃美の歌をあげた。煙は甘く、太鼓の音は谷間に響き渡り、祝祭の夜は葡萄酒と笑い声に満ちていた。アナトはその中心に立ち、白い麻の衣をまとい、祈りの言葉を捧げる役を担っていた。彼は心のどこかで、主の名を思い出さないわけではなかった。しかし、目の前の人々の熱狂、祭儀の華やかさ、そして何より、この目の前の「確かなもの」――石の祭壇や、手で触れられる彫像――に引き寄せられていた。主の声は、あまりに遠く、あまりに厳格に思えた。

風の音が変わった。うなりに近い、低い唸りが、谷間を通り抜けていく。アナトは思わず背筋を伸ばした。まるで、あの言葉そのものが、風に乗って今もこの地を巡回しているかのようだった。

「人の子よ、イスラエルの山々に向かって顔を向け、預言せよ。言え。イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。」

あの日、エゼキエルの声には、金属的な響きがあった。それは祭司たちが儀式で用いる朗々とした調子とは全く異なり、研ぎ澄まされた刃物のようで、聞く者の皮膚をずたずたに切り裂く感じがした。アナトは群衆の後ろで、耳を塞ぎたい衝動にかられながらも、一言一句を聞き逃すまいとしていた。

「見よ、わたしはお前たちに対して剣を抜く。わたしはお前たちの高き所を滅ぼす。お前たちの祭壇は荒らされ、香をたく祭壇は打ち砕かれる。」

預言者の言葉は、具体的で、容赦がなかった。丘、谷、峡谷、すべての高い場所にある祭壇が、一つ残らず破壊されると。偶像は打ち砕かれ、その前で殺された者たちの死体が、それら偶像の周りに投げ出されると。骨が祭壇の周りに散らばると。言葉が彼の鼓膜に刻まれていくのが、痛みとして感じられた。

そして、予告された通りに事は起こった。最初は辺境の小さな高き所からだった。ある夜、略奪者の群れが襲い、祭壇を汚し、像を引き倒した。やがて、その波は中央の聖所にまで及んだ。戦争の噂が飛び交い、疫病が町を襲い、飢饉が野を黄色く枯らしていった。人々は逃げ惑い、剣が閃き、叫び声が絶え間なく響いた。アナトが最後にこの場所を訪れた日、祭壇にはまだ火がくすぶり、供え物の半焼けのパンが転がっていた。次の新月の祭りを待たずに、彼らはこの地を捨てて逃げなければならなかった。彼は振り返り、最後に一眼を投げた。煙が夕空に立ち上り、それが彼の記憶における、この場所の最後の生きた映像となった。

それから何年が経っただろう。戻ってきたこの地は、あまりに静かだった。鳥の声さえ聞こえない。エゼキエルの言葉は、文字通りに成就していた。

「お前たちの殺された者の間に、祭壇の周りに、四方の高き所の傍らに、彼らの死体は横たわる。」

実際に骨はあった。風雨に晒され、獣に啄まれて、もはやどの骨が誰のものかわからない白い欠片が、茨の茂みの陰や、割れた石の間に転がっている。アナトはそれらを埋葬しようとは思わなかった。それは、神のなされた業に対する不遜な干渉に思えた。彼はただ、その一つ一つの前で立ち止まり、目を閉じた。かつては名前を持ち、家族を持ち、この祭壇の前で祈りを捧げた生きた人間たちだった。彼らの中には、アナトが贖罪の羊を屠ったその日に、罪の告白をした者もいる。その同じ口で、後にバアルに豊作を願ったかもしれない。すべてが、混ざり合い、もはや区別がつかない。

日が完全に沈み始め、長い影が谷を埋めていく。アナトは崩れた祭壇の台座に腰を下ろした。石の冷たさが、薄い衣服を通して伝わってくる。ここに座り、人々の願いを聞き、神々(かみがみ)に取り次ぐふりをしていたあの日々が、嘘のように遠い。彼は自分自身の祈りさえ、どう祈ればいいのかわからなかった。主に赦しを乞うことすら、あまりに傲慢なことに思える。自分はこの審判の共犯者だった。祭司として、民を正しい道に導かなかった。むしろ、この高き所に人を集め、この石に命を吹き込むふりをした。

ふと、彼の耳に、かすかな音が聞こえた。風の音ではない。人の声でもない。それは、遠くで流れる水の音のようにも、あるいは、深いため息のようにも聞こえた。彼は目を開け、暗くなりゆく空を見上げた。星一つない、重い鉛色の空だった。

そして、その時、エゼキエルの言葉の最後の部分が、彼の心の中に、薪の残り火のようにくすぶりながらよみがえってきた。

「生き残った者たちは、捕囚の地で、わたしがどれほど心を痛めたかを思い知る。彼らは、わたしが彼らを迷わしたのでもなく、むしろ彼らがわたしに向かって背信の限りを尽くしたことを悟る。その時、彼らは、わたしが主であることを知るようになる。」

「心を痛めた」。この言葉が、今までずっと、アナトには理解できなかった。あの厳格で、破壊的な審判の只中に、どうして痛みがあるというのか。しかし、今、この絶対的な静寂と荒廃の中に座り、散らばった骨を見つめていると、違う感情がわき上がってきた。それは、怒りでも悲しみでもない。ある種の、深い、底なしの「虚無」だった。この虚無は、かつてここに満ちていた熱狂や、生への執着や、偽りの安心と対になるものだ。神が去られた後の世界とは、このように何の意味も、響きも、ぬくもりもない場所なのだ。神の審判とは、単なる破壊ではない。神ご自身の臨在が引き上げられた後に残される、この恐ろしい「無」の提示なのだ。

そして、もしこの「無」が、神の「痛み」の裏側だとしたら? もし、この何もないことが、神が愛する者たちに背を向けざるを得なかった結果だとしたら?

アナトは、自分が知っているようで、何も知らなかったことに気付いた。彼は石の神々の名前を数十も知っていた。祭儀の細かい作法をすべてそらで言えた。しかし、「主」が何者か、その本質を、彼は考えたことがなかった。主は、この荒廃の中にもおられるのか。主の声は、この沈黙の中に潜んでいるのか。

答えはなかった。ただ、風が再び吹き、彼の白髪を揺らした。彼はゆっくりと立ち上がった。もうここに留まる理由はない。彼は、この高き所を、散らばった骨を、黒く煤けた石を、すべてをそのままにして、丘を下り始めた。足取りは重かったが、どこかに、長い間縛られていたものから、ほんの少しだけ解き放たれたような気もした。彼は「知る」ために、まだ長い道のりを歩まなければならない。いや、歩み続けることそのものが、「知る」ことなのかもしれない。彼は振り返らなかった。背後には、かつてのすべての過ちと、神の言葉の重たい成就とが、闇に包まれながら、ただそこに横たわっていた。

東の空に、一番星がまたたいた。とても微かな光だった。

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