エルサレムの城壁が、夕日に照らされて蜂蜜のような色に輝く頃だった。市場の喧騒が少しずつ沈み、代わりに家々からは夕食の煙が立ち昇り、オリーブオイルと焼きたてのパンの香りが路地に漂っていた。私はその日、最後の取引を終え、フェニキアから運んできた紫色の布を卸したばかりだった。名はザバダイ。ギリシャの島々を経て、ようやくこのユダヤの都に辿り着いた商人である。
目的は単純だった。この地で取引の網を広げ、富を築くこと。しかし、なぜかこの町の空気は、これまで訪れたどの港町とも違っていた。そこには、取引の駆け引きや金銭への欲望だけではない、何か重く、深い響きが満ちているように思えた。
ある安息日の前夜、私は宿の主人である老いたユダヤ人、エリアキムに誘われ、彼の家族の夕べの食卓に連なった。部屋の片隅では、ランプの灯りがゆらめき、少年が静かに言葉を紡いでいた。それは私の知らない言葉、ヘブライ語だった。
「あれは何を唱えているのですか」と私は小声で尋ねた。
エリアキムは柔らかな笑みを浮かべた。「詩篇だ。私の孫だ。今日は短い章を学んでいる。『すべての国々よ、主をほめたたえよ。すべての民よ、主をほめ歌え』――そう始まるのだ」
彼はゆっくりと、私の言葉であるアラム語でその意味を語ってくれた。そこには、この民だけの神ではない、全世界を、すべての異邦の民をも招き入れる呼び声があった。私は少し驚いた。この町の厳格な律法と閉鎖的な印象からは、そうした広がりは想像できなかったからだ。
「なぜ、すべての民に呼びかけるのです? あなたがたの神は、あなたがただけの契約の神ではないのですか」
エリアキムは深いしわの刻まれた目を細め、ランプの炎を見つめた。「確かに契約は私たちと結ばれた。しかし、主の慈しみは、契約の箱に収まるにはあまりにも大きい。それは海よりも広く、砂の数よりも多い。そして、その真実は、この天地が続く限り、決して消えることがない。私たちは、捕囚の地で、そのことを骨身に沁みて知ったのだ」
彼の声には、苦さと甘さが奇妙に混ざり合っていた。私は黙って聞いていた。商人として、私は「慈しみ」も「真実」も、取引上の信頼以上の意味で考えたことはなかった。しかし、この老人の言葉には、何十年にもわたる人生の重みが込められていて、軽々しく頷けるものではなかった。
その後、幾日かが過ぎた。ある日、私は取引の途中で不当な関税をかけられ、持ち物の大半を奪われそうになった。役人の横暴に抗弁したが、異邦人の私の言葉など通じない。絶望と怒りに胸が熱くなったその時、エリアキムが息子を連れて現れた。彼は静かに、しかし確固とした態度で律法の条文を引き、私の正当な権利を主張した。役人は渋々、要求を撤回した。
その夜、宿の庭で、私はエリアキムに礼を言った。「あなたはなぜ、わざわざ私のような旅人に、そこまでしてくれるのですか」
彼は空を見上げた。満天の星が、黒い天蓋に無数に散らばっていた。「主の慈しみは、私たちに大きい。ザバダイよ、それは私たちが良いからでも、正しいからでもない。主がその御心のままに、私たちを愛し、真実を貫かれるからだ。私は捕囚の地バビロンで、異邦人の中にいながら、その慈しみに生かされた。ならば、今、私の町に来た異邦人に、その一片を示さずにいられようか」
その言葉が、私の胸にゆっくりと染み渡っていった。私はこれまで、数多くの神々の名を聞き、さまざまな神殿を訪ねてきた。だが、この「慈しみ」と「真実」が永遠に続くという約束は、まるで揺るがない岩のようだった。それは、生まれや境遇に関わらず、すべてを包み込む広がりを持っていた。
ある夕暮れ、私はエルサレムの神殿の丘のふもとにいた。遠くから、レビ人の歌う詩篇の群唱が風に乗って聞こえてくる。そして、そこに混じって、異なる言語で神を賛美する声が幾つか聞こえたのだった。エジプトのアクセント、メソポタミアの響き、ギリシャの調べ。すべての国々から、巡礼や商人、あるいは好奇心からか、この場所に集う人々の声だ。
エリアキムの孫が唱えていたあの短い詩篇の言葉が、突然、私の心に鮮やかによみがえった。「すべての国々よ、主をほめたたえよ。すべての民よ、主をほめ歌え」
それは単なる理想でも、遠い希望でもない。今、ここで、石畳の上で、様々な衣装をまとった人々の間に、少しずつしかし確かに実現しつつある光景のように思えた。主の慈しみは確かに大きい。それは、私のような、神の律法も契約も知らなかった者をも、その懐に招き入れようとしている。そして、その真実は、私の移り気な心や、この世の変転にも左右されない、とこしえまでの基盤のようだった。
私は知らず知らず、唇が動いていた。自分の故郷の言葉で、旋律もわからないままに、心に溢れる感謝を紡いでいた。
「ほめたたえよ…」
それは完璧な賛美ではなかった。ぎこちなく、言葉も少なかった。だが、それは偽りのない、一つの人間の魂から湧き上がる応答だった。周囲の賛美の声に混じって、私のささやかな言葉も、夕闇の中で一つに融け合っていくようだった。
エルサレムを離れる日、エリアキムは私に小さな巻物を手渡した。「覚えていてほしい。主の慈しみは大きい。その真実はとこしえまで、と」
私は頷き、彼の家族に別れを告げた。船出の港で、私は再びあの短い言葉を口ずさんだ。これから向かう諸国の港でも、この言葉は私の中で生き続けるだろう。すべての国々、すべての民――その一つひとつに、慈しみと真実が届くように。そして、いつか、どこかで、再び賛美の声が響き合うように。
風が帆を膨らませ、船がゆっくりと動き出した。水平線の彼方に、朝日が昇り始めていた。光は、海をすべての民の言葉のように、無数のきらめきに変えていった。




