聖書

ヨルダン川の奇跡

夜明け前の闇が、ヨルダン川の流域をまだ深く覆っていた。冷たい砂の上に腰を下ろし、ヨシュアは目を閉じた。耳には、遠くで響く水流の音と、幾千とも知れぬ民の寝息が混ざり合って届く。彼らの不安は、匂いのように空中に漂っていた。乳と蜜の流れる地――約束の地は、この川の向こう側にある。しかし今は増水期である。雪解けの水がヘルモン山から流れ下り、ヨルダンは本来の穏やかな流れを失い、荒れ狂う獣のように岸を削っていた。

ヨシュアは立ち上がり、革の外套をまとった。肌に突き刺すような朝の冷気。彼はもう若くはない。かつてモーセに従ったあの日々から、長い年月が流れた。今、彼の肩には、一つの民全体の重みがかかっている。主の言葉を思い出す。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共におる。あなたを見放すことはない」。その約束が、彼の胸の中で、冷えた体を内側から温める薪のように燃えた。

民たちが動き始めた。陣営の解体は、慣れた手つきで進む。しかし、今日の動きにはどこか硬さがある。父母から、紅海が二つに裂けた話を聞いて育った世代だ。しかし、それを目の当たりにした者は少ない。彼らにとっての奇跡は、語り部の声の中にある過去の輝きでしかない。今、彼らの前にあるのは、濁流の轟音だ。

ヨシュアは、民の指導者たちを集めて告げた。「契約の箱を担ぐ祭司たちの後をついて行け。ただし、箱との間には、二千キュビトほどの距離を保て。近づいてはならない。あなたたちが従うべき道を、今日、あなたたちは初めて知るのだから」。

彼の声は低く、しかし砂の上に転がる小石のように、一つ一つが明確だった。祭司たちが、アカシア材で造られ、純金で覆われた契約の箱を担ぎ上げた。その重みは物理的なものだけではない。十の言葉が刻まれた石の板、マナを収めた金の壺、芽を出したアロンの杖――神の臨在のしるしが、そこに込められていた。

行列が動き出した。箱を先頭に、民はゆっくりと川岸へと向かう。足元の砂利が軋む。子供を背負った女の、息づかい。羊の群れを追う少年の呼び声。すべてが、川の咆哮に飲み込まれそうになる。岸辺に近づくにつれ、水しぶきの冷たさが顔に当たる。川幅は広い。流れの速さは、流木が瞬く間に下流へ消えて行くことでも分かる。

祭司たちの足が、水際に立った。その瞬間、彼らの足の裏が、浸水した岸の泥に触れたとき、何かが変わった。上流から流れてくる水の量が、忽然と減り始めたのである。遠く、ザレタンのあたりで、水が壁のように立ち上がり、せき止められているように見えた。下流へ向かう水は、たちまち流れ切って、川床が露わになる。しかし、それは突然の断絶ではなく、巨大な堰がゆっくりと閉じられたような、圧倒的な自然の沈黙だった。

川床はまだ湿っており、所々に水たまりが光っている。泥と岩が混ざった地面だ。祭司たちは、契約の箱を担いだまま、その中央に歩み入り、動かずに立った。民は息をのんだ。老人たちの目に涙が光る。あの紅海の記憶が、今、このヨルダン川で鮮やかによみがえった。しかしヨシュアは、民全員が渡り終えるまで、彼らを急がせなかった。足元が乾くのを待て、と。

歩き始めた。最初はおっかなびっくりだった足取りも、次第に確信に変わる。父母に手を引かれた子供が、「お母さん、水がないよ」と呟く声。かつてエジプトを脱出した者たちは、無言で、痩せた膝を震わせながら歩いた。この瞬間、彼らは二つの世代の架け橋となった。過去の約束が、今この瞬間に成就するのを、全身で感じている。

時間の感覚が歪んだ。数千、数万の民と家畜の群れが、ゆっくりと、しかし確実に、乾いた川床を横切って行く。唯一動かないのは、川の中央に立つ祭司たちと、彼らが担ぐ契約の箱だけだ。箱の金の装飾が、登り始めた太陽の光を反射して、一瞬、輝く。それは、民の道を真っ直ぐに照らす一筋の光のようだった。

最後の者まで対岸に渡り終えると、ヨシュアは一枚の石を拾い上げ、祭司たちがまだ立っている川床の真ん中に、それを据えるよう指示した。彼自身も、十二の部族から選ばれた者たちに、それぞれ石を取って来させ、ギルガルに宿営する場所にそれらを積み重ねた。「後々、あなたたちの子供が、『これらの石は何を意味するのか』と尋ねるとき、こう答えよ。『イスラエルが、このヨルダン川を乾いた地の上を渡ったのは、あなたがたの神、主が葦の海でなさったことを、今日、あなたがたの目の前でヨルダン川にもなさって、あなたがたに知らせるためである』と」。

対岸に立って振り返ると、祭司たちが最後に川床から上がってきた。彼らの足が岸の土を踏んだその時、上流にせき止められていた水の壁が崩れ、ヨルダン川は元の濁流に戻り、轟音を立てて流れ始めた。まるで何事もなかったかのように。しかし、岸辺に立つ民の顔は、もう以前と同じではなかった。恐れが、静かな畏敬に変わっている。彼らは、約束の地の土を、初めて靴の底に感じていた。

その日、ヨシュアは主の目に高められた。民は、モーセを畏れたように、彼を畏れ始めた。しかし彼の胸中には、高揚よりも、深い静寂が広がっていた。この道は、彼が導いたのではなかった。あの箱、そして箱の中に込められた言葉が導いたのだ。彼はただ、その前に立つ器に過ぎない。夕闇が迫り、新しい宿営地に炊煙が上がり始めた。遠く、エリコの城壁が、夕日に染まる丘の上に、黒い影を落としていた。次の戦いはもう始まっている。しかし今日、この川を渡った意味を、彼らは決して忘れないだろう。主が共におられる限り、葦の海も、ヨルダンの激流も、道に変わるのだ。

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