聖書

主を畏れて歩む葡萄畑

その男は、毎朝、夜明け前の冷たい空気が家の中に浸透してくる前に目を覚ました。エルサレムの東、オリーブの丘陵に囲まれた彼の葡萄畑は、今、秋の深まりを告げる淡い金色に包まれていた。名はエリアブ。四十を過ぎた彼の手には、長年の労働が刻まれた亀裂が、土の色のように染みついていた。

詩篇の記者が歌うように、主を畏れて歩む者――彼はその言葉を、祖父から聞いて育った。それは、律法の書巻にある難しい規定というよりも、むしろ、この葡萄の木の扱い方に似ていると感じていた。無理に捻じ曲げれば折れる。放任すれば野に伸びて実を結ばない。絶え間ない注意と、季節に従う忍耐が必要なのだ。

妻のミリアムは、台所で朝の火をおこす音を立てていた。彼女が挽く粉の音、そして間もなくして漂ってくるパンの香り。これが、彼の日々の始まりを告げる合図だった。彼は戸口に立ち、暗がりが薄らいでいく東の山々を見つめた。「主を畏れる者は幸いである。」幼い頃、父が葡萄畑の端にある岩の上に座り、そう呟くのを聞いた。その顔は、収穫の疲労の中にも、何か揺るぎない安心に満ちていた。それを、エリアブは今、ようやく理解し始めていた。

葡萄畑での仕事は、終わりがない。春先の剪定に始まり、夏の草取り、そして今、秋の収穫。彼は一房ずつ、鋭い鎌で丁寧に柄を断ち切る。露に濡れた実は深い紫色を帯び、指に重みを感じる。籠が満ちるごとに、彼はほんの一瞬、目を閉じた。感謝の念が、言葉ではなく、胸の奥からわき上がるのを感じながら。これは単なる収穫ではない。約束の実現なのだ、と。

昼時、ミリアムと子どもたちが畑にやって来た。長男のヨナタンは十二歳。もう父親の脇について、小さな鎌で葡萄を扱うことができる。その真剣な横顔に、かつての自分を見るようだ。下の二人、ラケルと幼いダニエルは、母が敷いた布の上で、転がった葡萄を拾っては口に入れ、笑い声をあげる。ミリアムが差し出す水筒の水は、井戸の冷たさを残し、汗で塩味のする喉を癒した。

「よく実ったね。」ミリアムが、彼の隣に並んで籠を覗き込みながら言った。彼女の目尻には、笑いじわが刻まれている。彼はうなずき、黙って一房の葡萄を彼女に手渡した。彼女がそれを口に運び、目を細めて甘さを確かめる仕草。それが、何よりも豊かさを物語っているとエリアブは思った。詩篇にある、「あなたの妻は、家の奥の実り豊かな葡萄の木のよう。」その通りだ。彼女はこの家の中心であり、すべての命が彼女を軸に回っている。彼女の手から生み出されるパンと慈愛が、この家族を一つに結んでいる。

日が西に傾き始めると、家族は収穫した葡萄を大きな革袋に詰め、ろばに載せて家路についた。エルサレムの城壁が、夕陽を受けて燃えるように輝いている。帰り道、ヨナタンがふと尋ねた。
「父さん、私たちの葡萄が、神殿の捧げものになることはあるの?」
エリアブは息子の頭に手を置いた。
「なるだろう。そして多くの人々の喜びとなる酒にもなる。私たちの労働は、こうして主の祝福の中に消えていくのだ。」
少年はその言葉を咀嚼するように、しばらく黙って歩いた。

家に戻り、葡萄の搾り作業が始まる。子どもたちは裸足で革袋の中の葡萄を踏み、紫色のしぶきが跳ねる。その様子を、エリアブとミリアムは縁側から見守る。疲労はあるが、満ち足りた空気が家を包む。やがて、初搾りの果汁を少しだけカップに取り、家族で分け合う。甘く、力強いその味は、一年の労苦を清めるようだった。

夜、子どもたちが眠りに就いた後、エリアブは家の平らな屋根に上がった。眼下には、ランプの灯りが点々と輝くエルサレムの町。遠くには、神殿の影がそびえている。彼は思いを巡らせる。「主を畏れる者は幸いである。主の道に歩む者は。」それは、何も特別な偉業を成し遂げることを意味しない。この葡萄畑で、与えられた務めを誠実に行うこと。家族を慈しむこと。そして、すべてが主の御手の中にあることを、この日常の只中で認め続けること。それこそが「道」なのだ。

風が丘を渡り、葡萄の葉がさらさらと音を立てる。彼は目を閉じ、静かに祈った。自分たちの労苦が実を結ぶように。この町が平安であるように。そして、子どもたちが、この単純で深い真理――主を畏れて歩むことの幸い――を、彼らの日々の中で見いだしていけますように。

十年後、ヨナタンは父の隣で、自分の家族を連れて葡萄畑に立っていた。エルサレムは相変わらずの平和の中にあった。エリアブの手はさらに節くれだっていたが、その眼差しは変わらず、収穫の実りを見つめて静かに輝いていた。祝福とは、こうして地を這うようにして、世代から世代へと受け継がれていくものなのだ。彼は一粒の葡萄を口に含み、その甘さが、祈りのように、長い時を経て今ここに満ちていることを噛みしめた。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です