**エゼキエル19章の哀歌:失われた獅子たちの物語**
主の言葉が預言者エゼキエルに臨んだ。彼はイスラエルの民に向かって、悲しみと警告に満ちた哀歌を歌うように命じられた。その歌は、かつて栄えた王国の没落を嘆き、指導者たちの驕りと失敗を語るものだった。
**1. 獅子の母とその子たち**
「イスラエルの君たちのために哀歌を唱えよ。」と主は言われた。
かつて、一頭の雌獅子がいた。彼女は強く、威厳に満ち、レバノンの森の中に住んでいた。彼女は多くの若い獅子を育て上げたが、その中でも特に二頭の子獅子が際立っていた。最初の子は力強く、獲物を捕らえることに長けていた。彼は周囲の獣たちを震え上がらせ、ついには民の指導者として立てられた。しかし、彼の力は傲慢を生み、隣国に向かって牙をむいた。そのため、諸国の民が彼を捕らえ、鎖につないでエジプトへと連れ去った。雌獅子は嘆き悲しんだが、希望を捨てず、第二の子を育て上げた。
**2. 第二の獅子の野望と滅び**
第二の子はさらに力強く、その咆哮は谷々に響き渡った。彼は父の過ちを繰り返すまいと誓い、民を導こうとした。しかし、彼もまた権力に溺れ、周囲の国々を脅かすようになった。彼は城壁を築き、戦いを挑んだが、その驕りは神の怒りを買った。主は彼を捕らえるために諸国の軍隊を送り、ついに彼はバビロンの牢獄に閉じ込められた。その声はもはや聞かれず、イスラエルの山々は沈黙に包まれた。
**3. 枯れ果てた葡萄の木**
雌獅子はもう子を産むことができなかった。彼女の希望は失われ、イスラエルは弱り果てた。主は再び語られた。「お前は葡萄の木のようだった。水の豊かな地に植えられ、多くの実を結んだ。しかし、怒りの嵐がそれを引き抜き、東風がその枝を枯らした。今やそれは荒野に投げ捨てられ、火に焼かれて灰となった。」
かつて栄えた王国は、今や荒れ果てた地となった。その枝は折れ、王座は空席のまま。民は捕囚の地で涙を流し、主の裁きの厳しさに震えた。
**4. 悔い改めへの招き**
しかし、この哀歌は終わりの言葉ではない。主はなお、悔い改めを求めておられる。獅子たちの驕りが滅びを招いたように、今もなお、神に背く者は同じ運命をたどる。しかし、主は慈しみ深く、立ち返る者を迎え入れてくださる。
エゼキエルはこの言葉を民に伝え、彼らが捕囚の地で心を改め、再び主に立ち返ることを願った。獅子の咆哮は消えても、神の声は永遠に響く。滅びの先に、悔い改めと希望の道が開かれていることを、彼は信じたのである。