**申命記29章に基づく物語**
モーセは、ヨルダン川の東、モアブの地に立っていた。その広大な平原には、イスラエルの民が集まっていた。老いたモーセの目には、長い荒野の旅を共にしたこの民の顔が、一つひとつ焼き付いていた。彼らはかつてエジプトで奴隷であった者たちの子孫であり、また、荒野で生まれた新しい世代であった。神は彼らを導き、約束の地の目前まで連れて来られた。しかし、この瞬間こそ、彼らが神との契約を新たにし、心を尽くして従うべき時であった。
風が草原を渡り、民の衣を揺らした。モーセは深く息を吸い、神から授けられた言葉を力強く語り始めた。
「今日、あなたがたは皆、あなたがたの神、主の前に立っている。族長たち、長老たち、役人たち、男も女も、子どもたち、そしてあなたがたのうちの寄留者まで、すべての者がここにいる。」
彼の声は静かながらも、一つひとつの言葉に重みがあった。民は息をひそめ、耳を傾けた。モーセは続けた。
「あなたがたは、主がエジプトでなさったこと、ファラオとその全軍に下された災いを見た。あなたがたは、あの大きな試練と、しるしと、大いなる奇跡を目の当たりにした。しかし、主は今日まで、あなたがたに悟る心と見る目、聞く耳を与えられなかった。」
40年の荒野の旅。神は彼らを養い、導かれた。しかし、民の心は時に頑なになり、不平を言い、疑った。それでも神は忍耐し、彼らをここまで導かれた。モーセの目には、かつての過ちを悔いる者たちの姿が映った。
「私は40年の間、あなたがたを導いた。着物もすり切れず、足も腫れなかった。あなたがたはパンも食べず、ぶどう酒も強い飲み物も飲まなかった。それは、あなたがたが、わたしが主であることを知るためだった。」
民の中から、うめくような声が上がった。彼らは確かに、神の慈しみを体験していた。天からのマナ、岩から湧き出た水、敵からの守り。すべてが神の御手によるものだった。
モーセは両手を広げ、民全体を見渡した。
「さあ、今、私はあなたがたと契約を結び、誓いを立てる。主の前に立つすべての者とだ。あなたがたは今日、主の民となる。そして、主はあなたがたの神となる。」
彼の言葉は、契約の重みを帯びていた。これは、単なる律法の確認以上のものだった。それは、心からの従順と、神への愛を求めるものだった。
「この契約は、今日ここにいる者たちだけではなく、今日ここにいない者たちにも及ぶ。」
モーセの目は遠くを見つめた。将来、約束の地に住む子孫たちのことを思ってのことだった。彼らが神を忘れ、他の神々に惑わされる時が来るかもしれない。その時、この契約が彼らを神に立ち返らせるのだ。
「もし、あなたがたのうちの誰かが、心に『私は平和だ、たとえ歩む道が自分の頑なな心のままでも』と思っても、主は決して赦さない。」
厳しい警告が響いた。神は聖なる方であり、背く者を見逃すことはない。民は震えを覚えた。
「後の世代、遠くの国から来た異邦人が、この地の災いと病を見て、『なぜ主はこの地をこのようにされたのか』と問う時、彼らはこう答えるだろう。『この民は、自分たちの先祖の神、主の契約を捨て、他の神々に仕え、拝んだのだ。それゆえ、主の怒りはこの地に下り、この書に記されているすべてののろいが臨んだのだ』と。」
モーセの声は深い悲しみに包まれていた。彼は民の将来を見通し、その背信の結果を予見していた。しかし、それでも希望はあった。
「しかし、もし彼らが心を尽くして立ち返り、主に聞き従うなら、主は彼らを再び集め、この地に連れ戻される。」
神の憐れみは、決して尽きることがない。契約は破られることがあっても、神の愛は変わらない。
モーセは最後に、静かに言った。
「隠れた事は、私たちの神、主のものである。しかし、現された事は、永遠に、私たちと私たちの子孫のものである。それは、この律法のすべての言葉を行わせるためだ。」
民は深くうなずいた。彼らはこの日、神との契約を新たにし、心に刻んだ。そして、ヨルダン川の向こうに広がる約束の地に向かって、一歩を踏み出そうとしていた。
風が再び吹き抜け、神の言葉が民の心に深く根を下ろした。