**エズラ記3章:祭壇の再建と神殿の基礎**
バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民は、ついに故郷の地に足を踏み入れた。長い年月、異国の地で過ごした彼らにとって、エルサレムの荒廃した姿は胸を締めつけるものだった。かつて栄光に満ちたソロモンの神殿がそびえていた場所には、瓦礫と雑草が広がり、人々の心に深い悲しみを刻みつけた。しかし、彼らは失望に沈むことはなかった。神が彼らをここに導かれたことを信じ、再建への決意を新たにした。
**第七の月の到来**
帰還から数か月後、第七の月が訪れた。この月は、イスラエルの暦において特別な意味を持っていた。仮庵の祭り(スコットの祭り)の時であり、かつては神殿で盛大に祝われた時期だった。民はエルサレムに集まり、祭司たちとともに行動を開始した。
ヨシュア(大祭司)とゼルバベル(ユダの総督)を中心に、人々は一致団結して祭壇を築き始めた。彼らはモーセの律法に従い、燔祭をささげるための石の祭壇を、以前の場所に据えた。周囲には敵対する民の脅威があったが、彼らは恐れなかった。「主に信頼し、犠牲をささげることを優先しよう」と励まし合い、作業を進めた。
**最初の犠牲と礼拝の再開**
祭壇が完成すると、人々は早速、朝と夕べの燔祭をささげ始めた。祭司たちは聖なる衣をまとい、角笛を吹き鳴らし、レビ人たちはシンバルを打ち鳴らして賛美を捧げた。炎が祭壇の上で燃え上がり、煙が天に昇っていく様は、神との契約が再び確立されるしるしだった。
「主は恵み深い方だ。私たちを見捨てず、再びこの地に連れ戻してくださった!」
人々は喜びに満ちて祈り、感謝の歌を歌った。仮庵の祭りの期間中、毎日のように犠牲がささげられ、かつての礼拝が少しずつ回復していった。この祭壇の再建は、単なる儀式の復活ではなく、神との交わりの再開を意味していた。
**神殿の基礎据え付け**
祭壇での礼拝が軌道に乗ると、次の段階として神殿の再建が計画された。ゼルバベルは石工や大工を集め、レバノンから杉材を運ばせた。かつてソロモンが神殿を建てた時と同じように、人々は協力して資材を調達した。
ついに、神殿の基礎を据える日が来た。祭司たちは聖なる衣を着て、角笛を手に立ち、レビ人たちはアサフの子孫の楽器を持ち、賛美を始めた。
「主は善き方。その恵みはとこしえまで!」
彼らはダビデ王の時代に歌われた詩篇を歌い、神を賛美した。そして、石の基礎が据えられると、人々の間に大きな喜びが沸き起こった。年配者たちの中には、かつての栄華を覚えている者もおり、ソロモンの神殿の壮麗さと比べて、この新しい基礎の小ささに涙を流す者もいた。喜びと悲しみが入り混じる中、人々の叫び声は遠くまで響き渡った。
**喜びと涙の交錯**
若い世代は、未来への希望に胸を躍らせ、歓声を上げた。「これから神殿が完成する! 神が再び私たちと共におられる!」
しかし、かつての神殿を見知っていた長老たちは、そのあまりの違いに声をあげて泣いた。「あの輝かしい神殿はどこに行ったのか…この基礎は、あまりにも小さい。」
その泣き声は、若者たちの喜びの声と混ざり、複雑な感情が渦巻いた。しかし、祭司たちは民を励ました。「今は悲しむ時ではない。主が私たちをここに導かれた。この工事は必ず完成する。神の約束は変わらない。」
こうして、神殿再建の第一歩が踏み出された。祭壇の再建と礼拝の回復、そして神殿の基礎据え付け——これらは、神の民が再び神と共に歩み始めるための重要な出来事だった。
**結び**
エルサレムの丘に響いた賛美と祈りは、神の臨在を呼び覚ますかのようだった。民は、たとえ困難が待ち受けていても、主が共におられることを確信した。この日から、神殿再建への長い道のりが始まったのである。