**ゼカリヤ書7章に基づく物語:真心からの悔い改め**
ユダの地が捕囚から帰還して数年が経った頃、ベテルから人々がエルサレムにやって来た。彼らは預言者ゼカリヤのもとを訪れ、主に一つの問いを投げかけるためであった。
その日、エルサレムの空は澄み渡り、神殿の再建工事の音が遠くから聞こえていた。人々の顔には期待と不安が入り混じっていた。彼らは長年、捕囚の間に守ってきた習慣について尋ねようとしていた。
「私たちは、これまで何十年も、第五の月に断食し、悲しみの儀式を行ってきました。しかし、今や神殿が再建されつつあります。このような断食を続ける必要があるでしょうか?」と、ベテルの代表者シェアルティエルは真剣な面持ちで尋ねた。
ゼカリヤは静かに彼らを見つめ、主の言葉を待った。すると、主の霊が彼に臨み、こう告げた。
**「あなたがたが七十年の間、第五と第七の月に断食し、悲しみの叫びをあげたとき、それは本当にわたしのために行ったことなのか。あなたがたが食べ、飲むとき、それは自分自身のためではないか。」**
ゼカリヤは神の言葉を人々に伝えた。主は、彼らの断食が形式的なものに過ぎず、心からの悔い改めや正義を求めるものではなかったことを指摘された。
**「かつて、エルサレムが栄え、人々が安らかに住んでいたとき、預言者たちは叫んだ。『正義を行い、互いに慈しみと憐れみを示せ。やもめや孤児、寄留者、貧しい者を虐げるな。心に悪意を抱くな。』しかし、彼らは聞かず、かたくなになり、耳をふさいだ。」**
ゼカリヤの声は力強く響いた。彼は、かつてのイスラエルの民が神の命令を無視し、その結果、国が滅び、捕囚の苦しみを味わったことを思い起こさせた。
**「それゆえ、主は大いなる怒りをもって彼らに臨まれた。彼らが叫んでも、主は聞かれなかった。彼らが散らされたとき、この地は荒れ果て、誰も通り過ぎる者もいなくなった。」**
人々はこの言葉に震え、自分たちの行いを省みた。彼らの断食は、単なる伝統に過ぎず、神との真の関係を築くものではなかった。
ゼカリヤは最後に、神が求めておられることをはっきりと語った。
**「主はこう言われる。『あなたがたは真実の裁きを行い、互いに慈しみと憐れみを示せ。やもめや孤児、貧しい者、寄留者を虐げてはならない。心に悪を企ててはならない。』」**
人々は深くうなだれ、悔い改めの祈りをささげた。彼らは、神が求めるのは外面的な儀式ではなく、内面の変革と隣人への愛であることを悟ったのである。
こうして、ベテルからの使者たちは、単なる習慣ではなく、真心からの信仰が神に喜ばれることを学び、静かにエルサレムを後にした。神殿の再建が進む中、彼らの心にも、新たな信仰の礎が築かれるのであった。