**詩篇131篇に基づく物語:幼子のように**
エルサレムの丘に囲まれた小さな村に、ヨナタンという名の羊飼いが住んでいた。彼はかつて、野心に燃え、神の御心を超えて自分の力で偉大な者になろうとしていた。若い頃は、隣の町の有力者たちと競い合い、富を蓄え、名声を求めて夜も眠れぬ日々を送った。しかし、どんなに手に入れても、心は満たされず、むしろ重い荷を背負っているかのようだった。
ある夕暮れ、ヨナタンは疲れ果てて野原に座り込み、遠くに広がる羊の群れを眺めていた。その時、ふと耳にしたのは、母親の腕に抱かれた幼子の声だった。子供は満足そうに微笑み、何も求めず、ただ安心して母親の胸に寄り添っていた。その姿を見た瞬間、ヨナタンの心に詩篇の言葉が響いた。
**「主よ、私の心は高ぶらず、私の目はおごらず、私は偉大なことや、私にとって難しすぎることを追い求めません。確かに私は、私のたましいを静め、落ち着かせました。乳離れした子が母親に対してそうであるように、私のたましいは乳離れした子のようです。」(詩篇131:1-2)**
その夜、ヨナタンは神の前にひざまずき、これまでの野心を悔い改めた。彼は悟ったのだ。真の平安は、自分の力で何かを得ることではなく、神の御腕に全てを委ねることにあると。
それからというもの、ヨナタンの生活は変わった。朝ごとに、彼は神の恵みに感謝し、野原で羊を導くときも、かつてのような焦りは消えていた。隣人たちは彼の変化に驚いた。以前は競い合っていた者たちに対しても、今は優しく接し、必要あれば助けの手を差し伸べた。
ある日、村に飢饉が訪れた。畑は枯れ、井戸の水も減り、人々は不安に駆られた。かつてのヨナタンなら、真っ先に自分の蓄えを守るために動いただろう。しかし今、彼は人々を集め、こう言った。
「神は私たちを見捨ててはおられない。幼子が母を信じて泣きやむように、私たちも神に信頼しよう。」
そして彼は、自分が持っていた穀物を分け合い、皆で祈りを捧げた。すると、不思議なことに、次の雨期には豊かな雨が降り、畑は再び実りを取り戻した。村人たちは、ヨナタンの信仰に触れ、神への信頼を新たにした。
ヨナタンは最後の日まで、幼子のように神に寄り頼む人生を歩んだ。彼の墓石には、詩篇131篇の言葉が刻まれた。
**「イスラエルよ。今よりとこしえまでも、主を待ち望め。」(詩篇131:3)**
彼の物語は、世代を超えて語り継がれ、人々にこう教えた——真の偉さは、神の御前でへりくだり、幼子のように信頼することにある、と。