**ルカの福音書20章に基づく物語**
エルサレムの都は、過越の祭りの準備で活気に満ちていた。人々は神殿の周りを行き交い、祭司たちは犠牲の動物を整え、商人たちは両替の台を並べていた。その中で、イエスは弟子たちと共に神殿の境内を歩いておられた。彼の教えは力強く、神の国の福音を語る声は、周囲の人々の心を引きつけた。
ある日、イエスが神殿で教えておられると、祭司長や律法学者たちが近づいてきた。彼らの目には疑念と敵意が浮かんでいた。彼らはイエスに詰め寄り、鋭い声で問いかけた。
「あなたは何の権威によってこれらのことをしているのか、その権威を与えたのはだれか、私たちに言いなさい。」
イエスは彼らの心を見抜き、静かに答えられた。
「わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは天からのものか、それとも人からのものか。」
祭司長や律法学者たちは顔を見合わせ、ひそひそと話し始めた。もし「天からのものだ」と言えば、「ではなぜ彼を信じなかったのか」と問われるだろう。かといって「人からのものだ」と言えば、民衆の怒りを買う。ヨハネを預言者と信じる者が大勢いたからだ。彼らは苦し紛れにこう答えた。
「私たちにはわからない。」
イエスは彼らを見つめ、言われた。
「それなら、わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言うまい。」
群衆は彼らの狼狽ぶりを見て、イエスの知恵に驚いた。しかし、祭司長たちの心はますます頑なになっていった。
### 悪い農夫のたとえ
イエスは人々に向かって、もう一つのたとえを語り始められた。
「ある人がぶどう園を造り、農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時が来たので、主人はしもべを送って、ぶどう園の収穫の分け前を受け取ろうとした。しかし、農夫たちはそのしもべを袋だたきにし、何も持たせずに追い返した。主人は別のしもべを送ったが、彼らはそのしもべも殴り、侮辱した。さらに三人目のしもべを送ると、彼らはその者を傷つけ、外に追い出した。
そこで、ぶどう園の主人は言った。『わたしの愛する息子を送ろう。彼なら敬ってくれるだろう。』しかし、農夫たちは息子を見ると、『これは相続人だ。彼を殺せば、ぶどう園は私たちのものになる』と話し合い、彼をぶどう園の外に追い出して殺してしまった。」
イエスは群衆を見つめ、問われた。
「さて、ぶどう園の主人は、この農夫たちをどうするだろうか。彼らを滅ぼし、ぶどう園を他の人々に与えるに違いない。」
これを聞いた人々は、「そんなことがあってはなりません」と叫んだ。しかし、祭司長や律法学者たちは、このたとえが自分たちを指していることに気づき、イエスを捕らえようとしたが、民衆を恐れて手が出せなかった。
### 皇帝への税金
イエスの言葉にますます怒りを募らせた彼らは、何とかしてイエスを陥れようと策略を練った。彼らは奸計を用いる者たちを送り、正しい人のふりをしてイエスの言葉じりを捉え、政治的な罠にかけようとした。
「先生、あなたは正しい方で、真理に基づいて神の道を教え、人々をはばかられません。では、私たちは皇帝に税金を納めるべきでしょうか、否でしょうか。」
イエスは彼らの悪意を見抜き、言われた。
「デナリ銀貨を見せなさい。そこにはだれの肖像と銘があるか。」
彼らが「皇帝のものです」と答えると、イエスは言われた。
「では、皇帝のものは皇帝に返しなさい。そして、神のものは神に返しなさい。」
この答えに、彼らは驚き、何も言い返すことができなかった。
### 復活についての問い
サドカイ人たちが近づいてきた。彼らは復活を信じない者たちであった。彼らは皮肉を込めて質問した。
「先生、モーセは私たちのために、『ある人の兄が妻をめとり、子がないまま死んだ場合、弟はその妻をめとって兄のための子を残さなければならない』と書いています。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとり、子がないまま死に、次男、三男と続き、七人とも同じ女を妻にしましたが、子を残さずに死にました。最後にその女も死んだのです。では、復活の時、彼女はだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですから。」
イエスは彼らに言われた。
「この世の子らはめとったり、とついだりするが、かの世では、ふさわしいとされた者たちは、天使のように、死ぬこともなく、復活にあずかる者となる。モーセも『柴』の箇所で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んでいるが、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は神にとって生きているのだから。」
これを聞いた律法学者のうちの幾人かは、「先生、立派なお答えです」と言った。もはや、彼らはイエスに何も問う勇気がなかった。
### ダビデの子について
イエスは彼らに問われた。
「どうして人々は、キリストを『ダビデの子』と言うのか。ダビデ自身が詩篇の中で、『主は、私の主に言われた。わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで』と語っている。ダビデがキリストを『主』と呼ぶなら、どうしてキリストはダビデの子なのか。」
群衆はこの言葉に耳を傾け、イエスの知恵にますます驚いた。しかし、祭司長たちの心はますますかたくなになり、イエスを捕らえる機会をうかがうのだった。
こうして、イエスの言葉は権威あるものとして響き渡り、神の国の真理が明らかにされていった。しかし、その光を受け入れようとしない者たちの心には、闇が深まっていったのである。