**第二コリント人への手紙第11章に基づく物語**
エーゲ海の風が優しく吹く中、コリントの町は活気に満ちていました。市場では商人たちの声が飛び交い、港には遠くからの船が行き交っていました。しかし、この繁栄の陰で、教会は深刻な問題に直面していました。パウロが愛するコリントの信徒たちの心に、偽りの教師たちが入り込み、彼らを惑わしていたのです。
パウロはテント作りの仕事をしながら、このことを思い、胸が痛みました。彼の手にはインクの染みがついており、何度も筆を走らせた跡がありました。今、彼はコリントの信徒たちに心からの訴えを記そうとしていました。
「あなたがたは、だれかが来て、わたしたちの宣べ伝えなかったイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受け入れなかった霊を受けて、あるいは、受け入れなかった福音を聞いて、それをやすやすと受け入れているからです。」(第二コリント11:4)
パウロの言葉には悲しみと怒りが込められていました。彼は、自分が苦労して築き上げた教会が、偽りの教えに引きずり込まれようとしていることを知っていたのです。
「ああ、あなたがたは、わたしを少しばかり愚か者にしてもらいたいでしょう。いや、そうしてもらわなければなりません。」(第二コリント11:1)
パウロは自らを「愚か者」と呼びました。それは、彼が自分の功績を誇ることを嫌っていたからです。しかし、コリントの人々が偽教師たちの華やかな言葉に惑わされるのを見て、彼は自分の歩みを語らざるを得ませんでした。
「彼らはヘブライ人ですか。わたしもそうです。彼らはイスラエル人ですか。わたしもそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。わたしもそうです。彼らはキリストのしもべですか。わたしは気が狂ったように言いますが、わたしは彼ら以上です。」(第二コリント11:22-23)
パウロは、自分が受けた苦しみを詳しく語り始めました。
「わたしは彼らよりもはるかに多くの労苦をし、はるかに多くのむちを受けた。幾度も牢に入れられ、死の危険にさらされた。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度。ローマ人からはむちで打たれ、石で打たれ、難船し、川の流れにさらされ、盗賊に襲われ、荒野で飢え、寒さに震えた。」(第二コリント11:23-27)
彼の体には、これらの苦難の傷跡が残っていました。しかし、パウロはそれらを誇りとはせず、ただキリストのために耐え忍んだ証として語ったのです。
「だれが弱くて、わたしが弱くないでしょうか。だれがつまずかされて、わたしが燃える思いにならないでしょうか。」(第二コリント11:29)
パウロの心はコリントの信徒たちに向けられていました。彼は、彼らが真実の福音から離れないことを切に願い、偽教師たちの欺きに気づいてほしいと祈っていました。
「神も父も知っておられます。わたしは偽りを言っていません。」(第二コリント11:31)
こうして、パウロは筆を置き、天を仰ぎました。彼の目には涙が浮かんでいました。コリントの信徒たちが再び真実の光に立ち返ることを願いながら、彼は祈りを捧げたのでした。
**(物語終わり)**
この物語は、パウロのコリントの信徒たちへの深い愛と、偽りの教えに対する警告を描いています。彼は自分の苦難を誇るのではなく、キリストの福音を守るために戦ったのです。私たちも、このような信仰の姿勢から学ぶべきでしょう。