聖書

「エサウとエドムの族長たちの系譜」

**創世記36章:エサウとその子孫の物語**

紅く染まる夕陽がセイルの荒野を包み込む頃、エサウは長い旅の末、一族を連れて新しい土地にたどり着いた。彼はヤコブとの確執を経て、父イサクの死後、カナンの地を離れる決意をした。神がヤコブに与えられた約束の地は、もはや彼の居場所ではないと悟ったからである。エサウは、父祖の地から東へと向かい、セイルの山地へと移り住んだ。この地は、彼の子孫にとって新たな故郷となる運命にあった。

### **エサウの家族**
エサウは、カナンの地で三人の妻をめとっていた。最初の妻はヘト人エロンの娘アダ、次にヒビ人ツィブオンの娘オホリバマ、そしてイシュマエルの娘でネバヨトの妹バセマテであった。アダはエリファズを産み、バセマテはレウエルを、オホリバマはエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらの子らは、エサウの力強さと野性的な気質を受け継ぎ、やがて強大な族長たちとなっていく。

### **セイルの地への定住**
セイルの山地は険しく、岩肌がむき出しになった荒々しい土地であったが、エサウとその子孫たちは、この地を征服し、自分たちのものとした。もともとこの地にはホリ人と呼ばれる先住民族が住んでいたが、エサウの子孫は彼らを次第に同化させ、あるいは追いやり、自分たちの勢力を広げていった。神はアブラハムに「子孫は砂のように増える」と約束されたが、それはイサクを通してだけでなく、エサウの子孫にも成就していた。

### **エドムの族長たち**
時は流れ、エサウの子孫はエドム人として知られるようになった。彼らは強大な氏族を形成し、それぞれが独自の領土を支配した。エサウの長子エリファズからは、テマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズといった族長が誕生した。これらの者たちは、知恵と勇気に優れ、エドムの各地に散らばって町々を築いた。特にテマン族は後に名高い知者を輩出し、預言者たちの言葉にも登場するほどであった。

レウエルの子孫からは、ナハテ、ゼラ、シャンマ、ミザが族長となり、彼らは荒野の民として、交易と戦いの道を選んだ。また、オホリバマの子孫であるエウシュ、ヤラム、コラも、セイルの地で勢力を伸ばし、ホリ人との混血を重ねながら、独自の文化を形成していった。

### **エドムの王たち**
エサウの子孫は、やがて王国を築くに至る。イスラエルに王が現れる以前に、エドムにはすでに王たちが立てられていた。最初の王はベオルの子ベラで、その都はディンハバと呼ばれた。彼の後、ボツラのゼラフの子ヨバブが王となり、続いてテマン人のフシャム、ベダド(彼はモアブの野でミデヤンを打った者である)、マスレカのサムラ、そしてレホボテ・ハンナハル(川のほとりの町)のサウルが王となった。

これらの王たちは、必ずしも親子関係で継承されたわけではなく、部族の中から力ある者が選ばれ、王位についた。これは、イスラエルの統一王朝とは異なる、エドム独自の統治形態であった。

### **エサウの遺産**
エサウ自身は、セイルの地で多くの日を過ごし、子や孫たちに囲まれながら生涯を閉じた。彼はヤコブとの和解を果たしていたが、二人の道は完全に分かれた。ヤコブの子孫は約束の地カナンで十二部族として成長し、エサウの子孫はセイルの地で王国を築いた。

神はアブラハムに対し、「すべての氏族はあなたによって祝福される」と語られたが、エサウの子孫もまた、その祝福の一端を担っていた。彼らはイスラエルの民と対立することもあったが、時に同盟を結び、歴史の流れの中で神のご計画の一部を成していった。

こうして、エサウの子孫はエドム人として、荒野の民として、また王国の民として、その名を歴史に刻んだのである。

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